Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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所以者何。如来方便。‥‥  

講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)

前後
8  法華経の分別功徳品第十七には、法華経を聞いて信じ理解する功徳は、計り知れないと説かれています。その功徳は、八十万億那由佗劫もの長い間にわたって「智慧波羅蜜(般若波羅蜜)を除く五波羅蜜」を修行する功徳よりも、百千万億倍も大きいとされている(法華経五〇二ページ)。「智慧波羅蜜を除く」とあるのは、智慧波羅蜜は、他の五波羅蜜とは比較にならないほど重要な、根本となる波羅蜜だからです。むしろ五波羅蜜は、この智慧波羅蜜を得るための修行であるとも言えます。仏法は、どこまでも「智慧」を重視するのです。
 ですから大聖人は、末法においては、初心の行者は五波羅蜜の修行は必要ないと述べられています(「四信五品抄」御書三四〇ページ)。僧侶への布施や戒律などの五波羅蜜が熱心に説かれていた当時、この大聖人の修行観は、一大宗教革命でした。
 しかも、大聖人の仏法では、「以信代慧」(信心を以て智慧に代える)と説きます。正しき「信心」が即「智慧」となる。私たち末法の凡夫は、御本尊を信ずることによって、この智慧波羅蜜をはじめ「六波羅蜜」をすべて修行したのと同じ功徳を得ることができるのです。
9  結論すれば、今日においては、御本尊を信じ、学会と共に広宣流布へと歩んでいく人が「六波羅蜜」の功徳を得られるのです。
 皆と一緒に、広布の活動に励んでいく人生こそが、最高の「智慧の人生」となっている。
 多くの先輩たちの姿がそれを証明しています。あとから振り返れば、よく分かるのです。
 そして、信心しているからこそ、私たちは、だれよりも賢明な「信心即生活」「行動即健康」の日々を送っていきたいものです。

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