Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第三章 「己心の外に法ありと思はば全く…  

講義「開目抄」「一生成仏抄」(池田大作全集第34巻)

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7  「自分自身が南無妙法蓮華経」の覚悟
 この南無妙法蓮華経の題目には、無量無辺の功力があります。
 戸田先生は、妙法の無量の力について、こう語られたことがあります。
 「広いところで、大の字に寝そべって、大空を見ているようなものだ。そして、ほしいものがあれば、すぐに出てくる。人にあげてもあげても出てくるんだ。尽きることがない。君たちも、こういう境涯になれ」
 まさに、南無妙法蓮華経は如意宝珠に譬えられます。必要なときに必要な力を出すことができる。こうした大境涯を開くためにはどうすればいいのか。戸田先生は、「こういう境涯になりたかったら、法華経のため、広宣流布のために骨身を惜しまず戦うことだ」と常に語っていました。
 まさに三世諸仏や梵天・帝釈とともに、大宇宙のいずこにあっても、人々の不幸と悲惨を断ち切り、生老病死の苦悩を打開しながら、幸福と平和の価値創造の世界を実現していくことです。
 この気宇壮大な心を、戸田先生は私たちに示してくださったのです。
 先生は、徹頭徹尾、己心の内に法を見ていく姿勢を貫かれました。「仏とは生命なり!」「我、地涌の菩薩なり!」との悟達を出発点として、「自分自身に生きよ」と語られていた。
 また、自分自身の妙法に目覚めゆく信心のことを、よく「自分自身が南無妙法蓮華経だと決めることだ!」「自分は南無妙法蓮華経以外なにもない! と決めることが末法の折伏である」とも教えられていました。
 これこそ、まさに「妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり」と仰せられている御精神そのものではないでしょうか。
8  人類宗教の新たな大道
 宗教は、「神」や「法」などの名で、人間を超えた無限なるもの、無常を超えた永遠なるものを説きます。それは、ある宗教では「畏怖」の対象であり、ある宗教では「憧憬」の対象であり、ある宗教では「無」の深淵であり、ある宗教ではすべてを包む「愛」の源泉です。大聖人は、万物を包み支えている妙法の力を、人間に内在するものととらえ、それを人間生命に現す道を打ち立てられた。
 私はかつて、アメリカのハーバード大学で二度目の講演をしたとき(一九九三年九月二十四日)に、現代文明における大乗仏教の意義を論じ、「平和創出の源泉」「人間復権の機軸」「万物共生の大地」という三つの意義を提示した。(「二十一世紀文明と大乗仏教」。本全集第2巻収録)
 その中で、「人間復権の機軸」については、特に「自力」と「他力」の一方に偏らない日蓮大聖人の仏法のあり方が重要であることを論じました。多くの知性の方から共感の声が寄せられております。
 ともあれ、人間は、「他力」すなわち有限な自己を超えた永遠なるものへの祈りと融合によって初めて、「自力」も十全に働きます。しかし、その十全なる力は、本来、自分の中にある。
 大聖人は「自力も定めて自力にあらず」「他力も定めて他力に非ず」と言われている。
 この意味するところは、どちらかに偏ることを排して、「自分の中に自分を超える力を現す」ということであると拝することができます。この道を実現したのがまさに唱題行なのです。
 これによって、自力と他力を分離して一方に偏る宗教のあり方を乗り越える、新しい「人類宗教」の大道を広々と示されているのです。

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