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日蓮大聖人・池田大作

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第四章 本因本果 信心で開く永遠の仏界・無限の菩薩行

講義「開目抄」「一生成仏抄」(池田大作全集第34巻)

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7  次に「仏界も無始の九界に備りて」と仰せです。
 まず文上に即して考察を進めると、天台大師の『法華文句』巻九下には「初住に登る時、己に常寿を得」(大正34巻233㌻)とあります。久遠の菩薩行において、不退転の位である初住位に登った時に、すでに常住の菩薩界の生命を得たというのです。
 すべての菩薩は最初に衆生無辺誓願度(あらゆる衆生をすべて救いたいとの誓い)をはじめとする四つの広大な誓願(四弘誓願)を立てます。その菩薩の生き方が間違いないと確信し、永遠に菩薩の実践から退かないと不退転の誓いを新たに固めたことが、常住の菩薩界を得たということではないでしょうか。釈尊はこの確たる誓いがあるゆえに、成仏してからも無限の菩薩行を続けていくのです。
 この『文句』の文を受けて日寛上人は「三重秘伝抄」で、「既に是れ本因常住なり、故に無始の九界と云う」と述べています。生命の「無限の菩薩行」を続ける側面を、大聖人は「無始の九界」と呼ばれたということです。
 九界と仏界は、「無常」と「永遠常住」の違いがあるとされ、この隔たりを超える道として、爾前経では何回も生まれ変わって修行し成仏に近づいていくという歴劫修行を立てたのです。しかし、これでは、結局、九界を捨てて仏界に至るという厭離断九の成仏観しか示せません。
 これに対して、法華経本門では、永遠の仏界の生命とその具体的実践である永遠の菩薩道を説いて「仏界即九界」「九界即仏界」を明かした。そして、釈尊の本因本果を通して一人の生命に十界が常住することを示し、それ以前の因果をすべて打ち破ったのです。
 法華経本門で本因・本果が明かされて、仏界と九界がともに生命に本有であり常住であることが示されたので、名実ともに生命に十界が具足することになります。それゆえ、大聖人は”本門で本因本果が説かれて「真の十界互具・百界千如・一念三千」となった”と仰せなのです。
 しかし、これはあくまで文上に即しての説明です。
 深く洞察すれば、釈尊一人にとどまらず、すべての生命は本来的に「永遠の仏界」を現し「無限の菩薩行」を続けることを求める存在であると言えます。自他ともの幸福を本来、願い求めるのが生命なのです。
 本因本果についての大聖人の仰せには、あらゆる凡夫の本因本果を明かすという文底の意が拝せます。
 日寛上人は「三重秘伝抄」で、文底の義として、「本因初住の文底」に「久遠名字の妙法、事の一念三千」が秘沈されていると示されています。
 「初住」とは、仏と成って万人の救済を実現しようと自身の生き方の根本目的が定まった境地であり、どのような困難があろうとも永遠に菩薩道を前進し続け、決して退かないと心が決まった境地です。釈尊が久遠において、永遠の菩薩道を実践し続けることを真に決意したときが、釈尊の久遠実成の「本因」です。しかし、その初住位に登った修行の原動力として、成仏の根源の法である「久遠名字の妙法、事の一念三千」があると言われているのです。
 「名字」とは「名字即」のことで、妙法を初めて聞いて信ずる凡夫の位です。「久遠名字の妙法」とは、凡夫が実践し成仏を実現する根源の法です。その法とは南無妙法蓮華経であると、直ちに説き示されたのが大聖人であられるのです。
 寿量品文上では、釈尊が成就した仏界の本果を表に立てて本因本果を示したと言えます。これに対して、文底の仏法では、本因の菩薩行を行ずる菩薩を表に立てて、本因本果を論ずるのです。これは、九界の凡夫に即して成仏の真の因果である本因本果を明らかにしていくことを意味します。これが、大聖人の仏法における文底の本因本果です。
 すなわち、凡夫が初めて妙法を聞いて信受し、果てしない菩薩道の実践を決意するのが本因である。そして、その凡夫の生命に永遠の仏界の生命を涌現することをもって、本果とするのです。
8  では、この大聖人の仏法において、「無始の九界」とは、どのようなことでしょうか。
 それは、九界の衆生が、その生命を支配していた無明を打ち破った時の生命だと拝せられます。その生命から仏界の働きが起こるので、「仏界も無始の九界に備りて」と仰せられているのです。
 その無明を破るのが「信」です。何に対する信かと言えば、永遠の妙法への「信」です。万人が、その「信」を立てることを可能にするために大聖人が顕されたのが、御本尊と唱題です。
 大聖人は「義浄房御書」で、寿量品の「一心欲見仏不自惜身命」(法華経490㌻)の文によって御自身の仏界を成就されたと仰せです。(御書892㌻)
 そして不自惜身命の信心とは妙法蓮華経への信であることを示されたうえで、「一心欲見仏」を「一心に仏を見る」「心を一にして仏を見る」そして「一心を見れば仏なり」と三回、転読されて、御自身の仏界成就を説明されています。
 最初の二つは因で、信心の一心を表し三つ目の「一心を見れば仏なり」は果で、仏界成就の一心を表していると拝することができる。信心の一心に本因本果が成就するのです。
9  以上のように「無始の仏界」「無始の九界」が明かされてこそ、無常の九界と永遠の仏界との断絶を乗り越え、両者が一致できるのです。そこに、本当の意味で十界互具が成り立つのです。十界互具が成り立てば、一念三千も成り立ちますゆえに「真の十界互具・百界千如・一念三千」と言われているのです。

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