Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「師子王の心」もつ民衆の誕生  

講義「御書の世界」(下)(池田大作全集第33巻)

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6  「師子王の心」を取り出せ
 池田 日興上人ら熱原の法難で命を賭して戦う弟子を大聖人は「聖人」と最大に称えられている。
 佐渡流罪の時にも学んだが、大聖人は、邪法の僧と権力者が結託して命に及ぶ弾圧を加えてきた時、「師子王の心」をもって屈せず戦い抜く人こそ仏になれると仰せです。
 法難のまっただ中で大聖人は、鎌倉や熱原の門下たちに、その「師子王の心」を取り出して、今こそ成仏の境涯を赫々と現していきなさいと仰せです。
 森中 「聖人御難事」のその御文を拝読します。
 「各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり
 〈通解〉――日蓮門下の一人一人は、師子王の心を取り出して、どんなに人が脅してもひるむことがあってはなりません。師子王は百獣を恐れません。師子王の子もまた同じです。彼らは狐などが吼えているようなものです。日蓮の一門は師子が吼えているのです。
 池田 前にも述べたが、「師子王の心」とは最高の勇気です。そして、勇気を奮い起こした生命に現われる本源的生命力です。
 この力こそ勝利の源泉です。勝ちきっていくには、「師子王の心」を満々と現す以外にない。強敵にも、大難にも、恐れずに、また退かずに、勇気の信心を奮い起こして立ち向かっていくのです。
 大聖人は「師子王の心を取り出せ」と呼びかけられています。ここに仏法の真骨頂ともいうべき重要な観点があります。
 だれもが本来、胸中に「師子王の心」を持っているのです。本来持っているから「取り出す」のです。その「師子王の心」を取り出す鍵が「月月日日につよる」強き信心です。
7  「日々、つよる心」で勝ちきる
 斎藤 同じく「聖人御難事」に「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」と仰せです。
 池田 あまりにも有名な御文です。
 昨日より今日、今日より明日。瞬間瞬間、今が戦う時です。今、この時が、魔との闘争だからこそ、「つよる心」を忘れたら、魔が付け込んでくるのです。
 三世永遠に法に則っていく、充実と満足と勝利の信仰の道を進むか。臆病と不信から身をさいなんでいく後悔の人生となるか。
 それは、今、この瞬間瞬間の心で決まる。それが現当二世の信心です。
 森中 熱原の法難でいえば、前者の代表が三烈士の闘争であり、後者の代表が、応援の派遣で来ていながら変心して不慮の死を遂げた三位房ですね。
 池田 悪鬼入其身の平左衛門尉父子の末路も悲惨であった。「終にほろびざるは候はず」と仰せのとおりです。
 傲れる権力は必ず滅びる。しかし、魂の輝きは永遠です。その峻厳なる明暗に照らして、凡夫が仏の境涯を確立するためには、「つよる心」による前進しかありません。
 斎藤 学会は、三代会長が「師子王の心」を貫いてきてくださいました。だからこそ大難を乗り越え、乗り越えて、勝ちきってくることができたのです。
 池田 今こそ、後継の師子が陸続と立ち上がる時です。その人が仏となるのです。

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