Nichiren・Ikeda
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自他の魔性と戦う折伏行
講義「御書の世界」(下)(池田大作全集第33巻)
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12 逆縁による下種の功徳
斎藤 不軽菩薩は迫害されても迫害されても、広宣流布へ立ち向かっていきました。大聖人も幾多の難を乗り越え、民衆救済の闘争を続けられました。
反発を受けても、あえて折伏を行うのはなぜか――それは、自分だけではなく、相手にとっても、最大の利益があるからであると考えられます。
池田 その利益とは、言うまでもなく、「下種」を受けるということ、すなわち生命に成仏の種子を植えていくことです。
森中 法華経では、一切衆生の生命には、もともと仏性という成仏への因が具わっていると説きますが、具体的にその仏性を発動させていく働きかけが、「下種」という行為です。
池田 大聖人は「仏種は縁に従つて起る是の故に一乗を説くなるべし」と仰せです。
万人成仏の唯一の法である妙法を聞くことが縁です。その縁に触発されてはじめて、人々の胸中に仏種が形成され、芽生えていくということです。
したがって、人々に日蓮大聖人の仏法を語っていくという行為は、その人の成仏への機縁を作っていく、最も尊い行為である。だからこそ、功徳も大きいのです。
森中 法を聞いて信受するという過程にあって、法を聞くという「聞法」と、聞いて教えを信受していく「発心」との立て分けが論じられます。
妙楽大師は「聞法を種と為し発心を芽となす」(『法華玄義釈籤』)と譬えています。
池田 戸田先生は、こう語られていた。
「下種には聞法下種と、発心下種の二種類がある。初めて会って折伏した。けれど信心しなかった。これは聞法下種である。ところが、次の人が行って折伏し、御本尊様をいただかせた。これは発心下種である。どちらも下種には変わりはない。功徳は同じである」(『戸田城聖全集』第4巻42㌻)
聞法下種も発心下種も、いずれも、妙法を教えていく尊い行いです。御本仏のお使いをした功徳は、いずれも絶大です。
そのうえで、大聖人は、妙法を説き聞かせて、仏縁を結ぶ聞法下種を強調されている。
大聖人は「とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり」と仰せです。
「毒鼓の縁」とは「逆縁」とも言います。法華経を説き聞かせれば、たとえ、その時は信ずることなく、誹謗しようとも、"正法を聞いた"ことが「縁」となり、必ず後に成仏の道に入ることです。
斎藤 妙法を説き、耳に触れさせれば、相手の生命の奥底では、必ず仏性が触発されている。それで反発するか、発心するかは、人それぞれですが、必ず「眠っていた仏性」が刺激されているのですね。
池田 たとえ、すぐに正法を信じることができなくても、妙法を聞いたことによって生命に下種を受けた人は、種子からやがて芽が出るように、いつか必ず正法を信ずる時がくる。
ゆえに、相手が信じても信じなくても、その人の幸福を願い、真心を尽くし、勇気をもって、仏法の素晴らしさを語っていくことが大切です。
大聖人も、たとえ、暴力や権力を用いて敵対し迫害してくる相手であっても、少しもひるむことなく堂々と正義を訴え続けられた。
ロシア科学アカデミー東洋学研究所のマルガリータ・ヴォロビヨヴァ博士は、法華経の重要なメッセージとして、私の『方便品・寿量品講義』のロシア語版に寄せて、このように記しておられる。
「あなたがどんな人間であっても、いかなる行いをしてしまったとしても、社会の最も低い場所に落ちてしまったとしても、仏はあなたを決してあきらめません。
それでも、あなたの命は尊いからです。
仏は、粘り強く教え、戒め、諭し、許すのです。衆生は決して弱く愚かな存在ではないと法華経は励ましています。人間の自立を促す仏の教えは、多くの人々にとって良き助けとなっていくことでしょう。
釈尊がこの世を去ってから大きな時間が経過しました。その間、仏は、決してどこか遠い世界から衆生を傍観しているのではありません。仏陀の声は、その教えを正しく受け継ぐ生きた人間の声となって私たちに語りかけ続けているのです」
仏陀の声を受け継ぐ人間の声。それが私たちの折伏です。
どんな人をも見捨てることなく、救いきっていく仏の振る舞いが、妙法の折伏行です。
創価学会は、この仏の心と振る舞いを継承しているのです。その戦いに連なる一人ひとりに偉大な功徳がないわけがありません。
「正義によって立て。汝の力、二倍せん」――私が青年時代から心に刻んできた箴言です。
正義に立った人間は無敵です。真理をたもった人間ほど強いものはありません。
アメリカの哲学者エマソンは語っています。
「己を持して固く自立して居る人には宇宙もまたその味方として立つ」(戸川秋骨訳『エマアソン全集第八巻 人生論』国民文庫刊行会刊)
森中 マーチン・ルーサー・キング博士は、自らの「非暴力抵抗」について「それが、宇宙は正義に味方するという確信に基づいている」と述べています。
池田 大聖人は仰せです。
「然りと雖も諸天善神等は日蓮に力を合せ給う故に竜口までもかちぬ、其の外の大難をも脱れたり、今は魔王もこりてや候うらん」
〈通解〉――(第六天の魔王自身が邪魔をしてきても)諸天善神等は日蓮に力を合わせてくださったゆえに、竜の口の法難さえも勝つことができた。そのほかの大難をも切り抜けることができた。今は魔王も、こりていることであろう。
全宇宙の諸天善神、仏菩薩――これ以上の強い味方はいません。
透徹した正義の信念に立てば、大宇宙の力が全身にみなぎってくる。勇気が、智慧が、こんこんと湧き出てくるのです。
ゆえに、大聖人は「日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし」と、広大なる歓喜の御境涯を示されています。御本仏の御心のままに妙法を弘める学会員の正義の行動には、宇宙大の福徳が具わることを確信していきたい。