Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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大難を超える師弟の絆  

講義「御書の世界」(下)(池田大作全集第33巻)

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14  池田 数十編の御書といっても、言うまでもなく、一編一編が、人間の限界の極限において、なお民衆を救わんとされる烈々たる御精神で、門下に認めていかれたものです。私たちも、その大聖人の御精神を深く拝していかねばならない。
 門下を思う心情にあふれている御手紙として忘れられないのは佐渡で書かれた「呵責謗法滅罪抄」の末尾の有名な一節です。
 「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり
 〈通解〉――どのような世が乱れていたとしても、お一人お一人を、法華経、十羅刹女よ、助けてくださいと、湿れっている木からでも火を起こし、乾ききいている土からでも水を手に入れようとするように、強盛に祈っています。
 湿った木から火を出し、乾いた土から水をしぼりだすが如き強盛な祈り。それは、御本仏・日蓮大聖人御自身の門下を思う祈りです。
 なんとありがたい師匠でしょうか。御自身が命に及ぶ大難を受けられながら、そこまで弟子の身を思いやる師匠の心。その師匠とともに、大願の人生に歩んでいこうとする門下たちが再び結集していったことは、疑う余地もない。
 ある意味で言えば、文永8年の大法難で、鎌倉の門下たちの組織は、一たびは確かに壊滅状態になった。
 そして、その再建とは、言うならば、散り散りになった門下たちが漠然と集まってきたというのではないと思う。大聖人が佐渡から発信される明確な指導のもとに、戦う心が同一になった門下たちが、以前より堅固な異体同心の和合僧を築いていった。それが佐渡期の鎌倉の門下たちではないだろうか。
 森中 現実に、法難が続いている渦中で再結集するわけですから、当然、門下たちも相当の覚悟があったと思います。
 池田 あえて言えば、真実の信仰に立った、新しい教団の形成とも言えるのではないか。そして、その特徴は一人一人が大聖人と師弟の絆を固くもっていた、ということです。
 強靭な広宣流布の組織というのは、人間の信頼の絆が縦横にめぐらされていて初めて実現する。嵐の中の運動です。
 組織や集団の形式的な論理で一人一人が動くわけがない。一人一人の人間の絆によってしか支え合うことはできません。
 斎藤 インドのガンジーも、国内、国外で文通していた人は数千人だったといわれる。一日平均、100通の手紙です。十通はみずから書き、何通かは口述して、あとは秘書に指示している。そして一日の残りはすべて面会者のために使ったと言います(ルイス・フィッシャー『ガンジー』古賀勝郎訳、紀伊国屋書店、参照)。
 そこまでして初めて、思想が民衆に根づき、人間と人間の深い連帯がつくられていくのですね。
15  池田 その人間の至高の絆が「師弟の絆」です。
 大聖人は大難の中で、こう宣言されています。
 「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」そして「日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし」とまでおっしゃっておられる。
 広宣流布は師子の集いでなければ実現できない。民衆への法の拡大は和合僧がなければなしえない。その真の和合僧団が、この佐渡期に形成されていったと私は見たい。
 嵐の中で、目覚めた弟子も本格的に呼応し立ち上がっていったのにちがいない。大難こそが真の広宣流布の和合僧を築いていったのです。
 斎藤 ありがとうございました。佐渡流罪のイメージが積極的なものになりました。更に佐渡流罪をめぐり、佐渡期において大聖人が門下に示された重要な法理の一つである宿命転換について考察していただきたいと思います。

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