Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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大難を超える師弟の絆  

講義「御書の世界」(下)(池田大作全集第33巻)

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13  池田 ともあれ、これはまだ「華報」すなわち兆しに過ぎないのであって、「実果」すなわち法華経の行者を迫害した本当の結果ではない。「実果」が現れるときは、北条一門に、どれほど嘆かわしいことが起きようか、と言い切られています。
 「実果」とは、内面的には「後生の堕地獄」で、外面的には「蒙古の襲来」であると言えるでしょう。
 戦乱は、内なる地獄界の現れです。人々の内なる地獄界が涌現して、大聖人への大弾圧となり、自界叛逆難となって兆し、蒙古襲来となって結実していくのです。
 大聖人は、法華経の行者を迫害する人々の内なる生命に、地獄界に通ずる内なる狂いを見たのです。それは、正法に背く不信・謗法の心です。万人の幸福の大法である妙法を信じられない無明であり、利己的欲望を肥大化させていってしまう愚かさであり、戦争へと向かう愚行の根源です。
 大聖人は、当時の日本国の人々のなかに、このような根源的な「愚かさ」があることを見抜いていました。そして、それを救うのは、御自身が悟られた妙法による以外にないと洞察されていた。また、当時の人々を、根本的な愚かさとその帰結である戦乱から救えるのは、御自身一人であると確信されていた。それゆえ、御自分を「日本の柱」と言われたのです。
 「佐渡御書」では、当時の人々が大聖人の一門が迫害を受けるのを喜び、自分たちの愚かさとその恐ろしい帰結に気がつかない狂態を「悪鬼入其身」と喝破されている。
 斎藤 はい。こう仰せです。
 「世間の愚者の思に云く日蓮智者ならば何ぞ王難に値哉なんと申す日蓮兼ての存知なり父母を打子あり阿闍世王あじゃせおうなり仏阿羅漢を殺し血を出す者あり提婆達多是なり六臣これを瞿伽利くぎゃり等これを悦ぶ、日蓮当世には此御一門の父母なり仏阿羅漢の如し然を流罪し主従共に悦びぬるあはれに無慚なる者なり謗法の法師等が自ら禍の既に顕るるを歎きしがくなるを一旦は悦ぶなるべし後には彼等が歎き日蓮が一門に劣るべからず、例せば泰衡がせうとを討九郎判官を討て悦しが如し既に一門を亡す大鬼の此国に入なるべし法華経に云く「悪鬼入其身」と是なり
 〈通解〉――世間の愚者は「日蓮が智者であるなら、どうして国による迫害に遭うのか」と思っている。しかし、日蓮には前々からわかっていたことである。
 父と母を殺そうとした子がいた。それは阿闍世王である。阿羅漢を殺し、仏の身を傷つけて血を出させた者がいた。それは提婆達多である。阿闍世王の6人の重臣はそれを褒め称え、提婆達多の弟子の瞿伽梨らは喜んだ。
 日蓮は今の世にあっては、このご一門の父母であり、仏や阿羅漢のようなものである。その日蓮を流罪にし、主君も家来も共に喜んでいる。あわれで恥知らずな者たちである。謗法の僧らは、日蓮によって自らの過ちが明らかになったことを以前は嘆いていたが、日蓮がこのような身となったことを今は喜んでいることだろう。しかし、後には彼らの嘆きは、今の日蓮の一門の嘆きに劣ることはない。
 例を挙げれば、藤原泰衡が、弟の忠衡を討ち、さらに源義経を討って喜んだようなものである。すでに一門を滅ぼす大鬼がこの国に入っているに違いない。法華経に説かれている「悪鬼がその身に入る」とはこのことである。
 池田 表面的には、大聖人は流罪人で、迫害者たちは権力者であり聖職者です。しかし、内面の実相は、迫害者たちは「悪鬼入其身」であり、大聖人が智者であり、救済者なのです。
 この逆転の実相から佐渡流罪を見るとき、かえって、迫害者たちこそが愚癡と愚行にがんじがらめ閉じ込められた罪人なのです。
 佐渡流罪を赦免になり、鎌倉に戻って平左衛門尉頼綱と対面したときに語られた次の言葉は、大聖人の広大な心の自由を表している。
 「王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず
 〈通解〉――王が支配する地に生まれたので、その王に身は随えられるようではあるけれども、心は随えられるものではない。
 この言葉は、佐渡流罪の最中でも、常に大聖人の御胸中に響いていた内なる声であると拝したい。
 森中 佐渡で大聖人は、大瀑布のような勢いで論文や御手紙を書かれて、門下たちを励まし続けられていきます。佐渡期だけでも大長編の御書、重書を含めて数十編の御書が現存しています。
14  池田 数十編の御書といっても、言うまでもなく、一編一編が、人間の限界の極限において、なお民衆を救わんとされる烈々たる御精神で、門下に認めていかれたものです。私たちも、その大聖人の御精神を深く拝していかねばならない。
 門下を思う心情にあふれている御手紙として忘れられないのは佐渡で書かれた「呵責謗法滅罪抄」の末尾の有名な一節です。
 「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり
 〈通解〉――どのような世が乱れていたとしても、お一人お一人を、法華経、十羅刹女よ、助けてくださいと、湿れっている木からでも火を起こし、乾ききいている土からでも水を手に入れようとするように、強盛に祈っています。
 湿った木から火を出し、乾いた土から水をしぼりだすが如き強盛な祈り。それは、御本仏・日蓮大聖人御自身の門下を思う祈りです。
 なんとありがたい師匠でしょうか。御自身が命に及ぶ大難を受けられながら、そこまで弟子の身を思いやる師匠の心。その師匠とともに、大願の人生に歩んでいこうとする門下たちが再び結集していったことは、疑う余地もない。
 ある意味で言えば、文永8年の大法難で、鎌倉の門下たちの組織は、一たびは確かに壊滅状態になった。
 そして、その再建とは、言うならば、散り散りになった門下たちが漠然と集まってきたというのではないと思う。大聖人が佐渡から発信される明確な指導のもとに、戦う心が同一になった門下たちが、以前より堅固な異体同心の和合僧を築いていった。それが佐渡期の鎌倉の門下たちではないだろうか。
 森中 現実に、法難が続いている渦中で再結集するわけですから、当然、門下たちも相当の覚悟があったと思います。
 池田 あえて言えば、真実の信仰に立った、新しい教団の形成とも言えるのではないか。そして、その特徴は一人一人が大聖人と師弟の絆を固くもっていた、ということです。
 強靭な広宣流布の組織というのは、人間の信頼の絆が縦横にめぐらされていて初めて実現する。嵐の中の運動です。
 組織や集団の形式的な論理で一人一人が動くわけがない。一人一人の人間の絆によってしか支え合うことはできません。
 斎藤 インドのガンジーも、国内、国外で文通していた人は数千人だったといわれる。一日平均、100通の手紙です。十通はみずから書き、何通かは口述して、あとは秘書に指示している。そして一日の残りはすべて面会者のために使ったと言います(ルイス・フィッシャー『ガンジー』古賀勝郎訳、紀伊国屋書店、参照)。
 そこまでして初めて、思想が民衆に根づき、人間と人間の深い連帯がつくられていくのですね。
15  池田 その人間の至高の絆が「師弟の絆」です。
 大聖人は大難の中で、こう宣言されています。
 「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」そして「日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし」とまでおっしゃっておられる。
 広宣流布は師子の集いでなければ実現できない。民衆への法の拡大は和合僧がなければなしえない。その真の和合僧団が、この佐渡期に形成されていったと私は見たい。
 嵐の中で、目覚めた弟子も本格的に呼応し立ち上がっていったのにちがいない。大難こそが真の広宣流布の和合僧を築いていったのです。
 斎藤 ありがとうございました。佐渡流罪のイメージが積極的なものになりました。更に佐渡流罪をめぐり、佐渡期において大聖人が門下に示された重要な法理の一つである宿命転換について考察していただきたいと思います。

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