Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「法華弘通のはたじるし」――人類救済の…  

講義「御書の世界」(上)(池田大作全集第32巻)

前後
13  池田 「御義口伝」では、その白毫の光明とは南無妙法蓮華経であるとされている。この光明は十界の各界を照らすから、「十界同時の成仏なり」となることが示されています。
 そして、さらに、「されば下至阿鼻地獄の文は仏・光を放ちて提婆を成仏せしめんが為なりと日蓮推知し奉るなり」とも仰せです。
 森中 大聖人は、題目の光が無間地獄に至って、即身成仏させることを、題目の回向の力とされています。
 そこで、釈尊が提婆達多の悪を許したのではないか、との疑問が生じます。
 池田 釈尊は、徹底して提婆達多の悪を責めました。そのことは疑う余地がない。
 実は、悪を責めることで悪人を目覚めさせることができるのです。妙法の正義の声を聞くことで、悪人の心に眠っていた仏性が動き出すからです。しかし、悪人の心は厚い岩盤のような無明に覆われているから、弱い声では届かない。悪を厳しく責める糾弾の声こそが、その岩盤を打ち破って仏性を照らすのです。
 斎藤 不軽菩薩を迫害し続けた四衆がそうですね。迫害されても不軽菩薩が礼拝を続けたことで、四衆もやがて悔いる心が芽生えてきた。「撰時抄」にそう説かれています。不軽菩薩の礼拝は、悪への呵責に通じていたといえるのではないでしょうか。
 池田 不軽菩薩は戦い続けて勝ったのです。
 正義が沈黙してしまえば、悪はますますはびこってしまう。悪人自身が悔ゆる心を起こすまで、悪を責め続けることが慈悲に通じるのです。
 森中 日本人は、そこが分からず、寛容を誤解して、"これだけ糾弾したんだから、もういいだろう"となりがちですね。
 提婆達多にしても、釈尊が徹底して妥協なく責めたので、提婆も悔ゆる心を起こした。しかし、先ほどの「撰時抄」の続きによると、悪業のゆえに「南無」としか唱えることができず、無間地獄に堕ちた、と仰せです。そこへ、妙法の光明を照らしたということですね。
 池田 御本尊には単に、釈尊に敵対し悪逆の限りを尽くし、至極の苦悩にさいなまれている提婆達多が描かれているわけではない。妙法の光明に照らされて、地獄界の調和という使命を帯びて、まさに提婆でなければなりえない地獄界における妙法の使者となった提婆達多を見ているのです。
 提婆一人の成仏が、無数の悪人成仏の道を開いたことになる。
 先ほども「妙の三義」に触れて述べたが、日蓮仏法の御本尊には、幾多の人類宗教の理想であった、根源の調和の力があります。
 だからこそ大聖人は、闇が最も深い「闘諍の時代」に御本尊を御図顕されたと拝することができます。
 斎藤 広宣流布の原点であり起点となった日本の地で、「広宣流布」と「闘諍」とは深い結び付きがあります。
 蒙古襲来という日本未曾有の出来事の中で、大聖人は御本尊を御図顕されました。
 そして、第2次世界大戦という日本にとって未聞の闘諍の時代に、創価学会が誕生し、戸田先生は戦後の荒廃の中で妙法弘通を叫ばれました。その弘通の核が御本尊です。
 この妙法で、戦後の苦悩にあえいでいる民衆を救っていこうと、戸田先生は牧口先生の誓願を受け継いで立ち上がりました。
 池田 戸田先生の広宣流布の一切の原点は、御本尊から出発したということです。
 その広宣流布の黎明は、出獄の日である7月3日の深夜。恩師の部屋から始まった。
 森中 池田先生は小説『人間革命』の第1巻「黎明」の中で、こう綴られています。
 「戸田城聖は、暗幕に遮蔽された二階の一室で、仏壇の前に端座していた。空襲下の不気味な静けさが、あたりを包んでいた。かれはしきみを口にくわえ、常住御本尊をそろそろとはずした。そして、眼鏡をはずした。
 彼は、御本尊に頬をすりよせるようにして、一字一字たどっていった。
 ――たしかに、このとおりだ。まちがいない。まったく、あの時のとおりだ。
 彼は心につぶやきながら、獄中で体得した、不可思議な虚空会の儀式が、そのままの姿で御本尊に厳然として認められていることを知った。彼の心は歓喜にあふれ、涙は滂沱として頬をつたわっていった。彼の手は、わなないた。心に、彼ははっきりと叫んだのである。
 ――御本尊様、大聖人様、戸田が必ず広宣流布をいたします。
 彼は、胸のなかに白熱の光りを放って、あかあかと燃えあがる炎を感じた。それは、なにものも消すことのできない、灯であった。いうなれば、彼の意志をこえていた。広宣流布達成への、永遠に消えざる黎明の灯は、まさにこの時、戸田城聖の心中に点されたのである」
14  池田 この日のことは、戸田先生から幾度となくおうかがいしました。本当に、嬉しくて嬉しくて仕方がなかった、と語られていた。
 日蓮大聖人滅後七百年間、誰人も成し遂げえなかった未聞の御本尊流布が拡大していった原点が、ここにある。この御本尊で民衆を救っていこうとする誓願があればこそ、日蓮大聖人の御精神が世界に広がったのです。
 「観心本尊抄」の結論で仰せのように、御本尊は御本仏の慈悲の当体です。広宣流布の実践なくして御本尊を拝しても、真実の仏の大慈悲は通ってこない。
 「日蓮と同意」「日蓮が一門」という、大聖人と同じ広宣流布の決意に立った時、大河のごとく、日蓮大聖人の大慈悲が滔々と流れ伝わるのです。
 御本尊の功力は無限大です。汲めども汲めども尽きることがない。皆がこれまで受けてきた功徳でもまだ比較することのできない、無量無辺の広大な功徳がある。
 その最大の功徳が、人類の宿命の転換です。その功徳を引き出すのが、創価学会の信心です。
 そして、世界百八十五か国・地域に広がった地涌の菩薩の連帯が、御本尊の功力を馥郁と薫らせて、地球の無明を払うべき時を迎えたのです。

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