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日蓮大聖人・池田大作

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「法華弘通のはたじるし」――人類救済の…  

講義「御書の世界」(上)(池田大作全集第32巻)

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12  「闘諍の時」を救う大法
 森中 「観心本尊抄」の最後の個所では、いよいよ地涌の菩薩が出現して御本尊を建立する内容となります。
 「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し月支震旦に未だ此の本尊ましまさず
 〈通解〉――この時、地涌の菩薩が出現して、本門の釈尊を脇士とする一閻浮提第一の本尊を、この国に立てるのである。月支(インド)・震旦(中国)にも未だかつてこの本尊は出現されなかった。
 池田 もちろん、ここに仰せの地涌の菩薩の先駆が日蓮大聖人であり、大聖人が御本尊を建立されるのです。その上で、ここで「此の時」と言われている「時」が重要です。大聖人は、伝教大師の釈を引いて「闘諍の時」と仰せです。
 そして、大聖人御在世で言えば、「今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり」と示されています。
 斎藤 いずれも「立正安国論」で予言された難です。自界叛逆難は「観心本尊抄」御執筆の前年の文永9年(1272年)の二月騒動(北条時輔の乱)で的中しました。他国侵逼難は、本抄で「西海への侵逼(=侵略)」とあるように、迫りくる蒙古襲来のことです。
 池田 「闘諍の時」に、地涌の菩薩が出現して御本尊を建立するという事実こそ、仏法が民衆の幸福と平和のためにあることを雄弁に物語っています。
 争いは二重の残虐をもたらします。一つは、生命に直接の危害を与えます。そして、もう一つは、人々の心を引き裂き、人と人の絆を引き裂く。総じて、人間生命に具わるコスモスを破壊する悪魔の所業です。
 戦争は悲惨です。残酷です。
 その「闘諍の時」に、全民衆を救うために、地涌の菩薩が御本尊を建立するのです。
 先ほど、御本尊の相貌と虚空会の関係について拝察しました。もう一度、確認したい。
 御本尊は、十界の衆生をすべて相貌の中に納めます。虚空会で言えば、一座の大衆をすべて空中の虚空会に一人も漏らさず包んでいきます。
 爾前権教であれば、六道を切り捨て、二乗を切り捨て、果ては菩薩を切り捨て、九界を忌み嫌う。法華経は、その方向と正反対です。
 森中 "選ばれた民"のみを対象に救済を図ろうとする宗教もあります。
 池田 御本尊の相貌は、万人の平等の尊厳性を示しています。御本尊には、分断され、ずたずたになった対立を調和し、融合する力がある。
 そして、もっとも苦しんでいる六道の衆生を救う力がある。その力を現していく存在が、地涌の菩薩です。
 「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」(998)と仰せのように、魔性と仏性の戦いに、何があっても勝っていくのが地涌の使命なのです。
 地涌の菩薩が悪に勝たなければ、永久に悪から悪へと流転する世界になってしまう。悪に勝ってこそ、法性が現れ、善悪不二の調和の世界が現れるのです。
 斎藤 御本尊に提婆達多が認められているのは、「魔性に勝て」ということですね。
 池田 そうです。彼は、人間不信と嫉妬と慢心と憎悪で、生きながら地獄に堕ちた。普通の宗教なら、釈尊に敵対して命を狙ったのだから永久に救われることはありません。
 しかし、法華経の慈悲の光明は、地獄に堕ちて苦しんでいる提婆達多にも注がれる。
 斎藤 法華経の序品第一で、釈尊の眉間から白毫の光明がサーチライトのように十方世界を照らします。その光は、無間地獄にも届きます。
13  池田 「御義口伝」では、その白毫の光明とは南無妙法蓮華経であるとされている。この光明は十界の各界を照らすから、「十界同時の成仏なり」となることが示されています。
 そして、さらに、「されば下至阿鼻地獄の文は仏・光を放ちて提婆を成仏せしめんが為なりと日蓮推知し奉るなり」とも仰せです。
 森中 大聖人は、題目の光が無間地獄に至って、即身成仏させることを、題目の回向の力とされています。
 そこで、釈尊が提婆達多の悪を許したのではないか、との疑問が生じます。
 池田 釈尊は、徹底して提婆達多の悪を責めました。そのことは疑う余地がない。
 実は、悪を責めることで悪人を目覚めさせることができるのです。妙法の正義の声を聞くことで、悪人の心に眠っていた仏性が動き出すからです。しかし、悪人の心は厚い岩盤のような無明に覆われているから、弱い声では届かない。悪を厳しく責める糾弾の声こそが、その岩盤を打ち破って仏性を照らすのです。
 斎藤 不軽菩薩を迫害し続けた四衆がそうですね。迫害されても不軽菩薩が礼拝を続けたことで、四衆もやがて悔いる心が芽生えてきた。「撰時抄」にそう説かれています。不軽菩薩の礼拝は、悪への呵責に通じていたといえるのではないでしょうか。
 池田 不軽菩薩は戦い続けて勝ったのです。
 正義が沈黙してしまえば、悪はますますはびこってしまう。悪人自身が悔ゆる心を起こすまで、悪を責め続けることが慈悲に通じるのです。
 森中 日本人は、そこが分からず、寛容を誤解して、"これだけ糾弾したんだから、もういいだろう"となりがちですね。
 提婆達多にしても、釈尊が徹底して妥協なく責めたので、提婆も悔ゆる心を起こした。しかし、先ほどの「撰時抄」の続きによると、悪業のゆえに「南無」としか唱えることができず、無間地獄に堕ちた、と仰せです。そこへ、妙法の光明を照らしたということですね。
 池田 御本尊には単に、釈尊に敵対し悪逆の限りを尽くし、至極の苦悩にさいなまれている提婆達多が描かれているわけではない。妙法の光明に照らされて、地獄界の調和という使命を帯びて、まさに提婆でなければなりえない地獄界における妙法の使者となった提婆達多を見ているのです。
 提婆一人の成仏が、無数の悪人成仏の道を開いたことになる。
 先ほども「妙の三義」に触れて述べたが、日蓮仏法の御本尊には、幾多の人類宗教の理想であった、根源の調和の力があります。
 だからこそ大聖人は、闇が最も深い「闘諍の時代」に御本尊を御図顕されたと拝することができます。
 斎藤 広宣流布の原点であり起点となった日本の地で、「広宣流布」と「闘諍」とは深い結び付きがあります。
 蒙古襲来という日本未曾有の出来事の中で、大聖人は御本尊を御図顕されました。
 そして、第2次世界大戦という日本にとって未聞の闘諍の時代に、創価学会が誕生し、戸田先生は戦後の荒廃の中で妙法弘通を叫ばれました。その弘通の核が御本尊です。
 この妙法で、戦後の苦悩にあえいでいる民衆を救っていこうと、戸田先生は牧口先生の誓願を受け継いで立ち上がりました。
 池田 戸田先生の広宣流布の一切の原点は、御本尊から出発したということです。
 その広宣流布の黎明は、出獄の日である7月3日の深夜。恩師の部屋から始まった。
 森中 池田先生は小説『人間革命』の第1巻「黎明」の中で、こう綴られています。
 「戸田城聖は、暗幕に遮蔽された二階の一室で、仏壇の前に端座していた。空襲下の不気味な静けさが、あたりを包んでいた。かれはしきみを口にくわえ、常住御本尊をそろそろとはずした。そして、眼鏡をはずした。
 彼は、御本尊に頬をすりよせるようにして、一字一字たどっていった。
 ――たしかに、このとおりだ。まちがいない。まったく、あの時のとおりだ。
 彼は心につぶやきながら、獄中で体得した、不可思議な虚空会の儀式が、そのままの姿で御本尊に厳然として認められていることを知った。彼の心は歓喜にあふれ、涙は滂沱として頬をつたわっていった。彼の手は、わなないた。心に、彼ははっきりと叫んだのである。
 ――御本尊様、大聖人様、戸田が必ず広宣流布をいたします。
 彼は、胸のなかに白熱の光りを放って、あかあかと燃えあがる炎を感じた。それは、なにものも消すことのできない、灯であった。いうなれば、彼の意志をこえていた。広宣流布達成への、永遠に消えざる黎明の灯は、まさにこの時、戸田城聖の心中に点されたのである」
14  池田 この日のことは、戸田先生から幾度となくおうかがいしました。本当に、嬉しくて嬉しくて仕方がなかった、と語られていた。
 日蓮大聖人滅後七百年間、誰人も成し遂げえなかった未聞の御本尊流布が拡大していった原点が、ここにある。この御本尊で民衆を救っていこうとする誓願があればこそ、日蓮大聖人の御精神が世界に広がったのです。
 「観心本尊抄」の結論で仰せのように、御本尊は御本仏の慈悲の当体です。広宣流布の実践なくして御本尊を拝しても、真実の仏の大慈悲は通ってこない。
 「日蓮と同意」「日蓮が一門」という、大聖人と同じ広宣流布の決意に立った時、大河のごとく、日蓮大聖人の大慈悲が滔々と流れ伝わるのです。
 御本尊の功力は無限大です。汲めども汲めども尽きることがない。皆がこれまで受けてきた功徳でもまだ比較することのできない、無量無辺の広大な功徳がある。
 その最大の功徳が、人類の宿命の転換です。その功徳を引き出すのが、創価学会の信心です。
 そして、世界百八十五か国・地域に広がった地涌の菩薩の連帯が、御本尊の功力を馥郁と薫らせて、地球の無明を払うべき時を迎えたのです。

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