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日蓮大聖人・池田大作

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沙の餅  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

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1  私は幸せなことに、無数の信仰上の友人をもっている。世界にも同じように、数えきれないほど多くの友人をもっている。その意味では、世界一の幸せ者であると、つねに私は思っている。 よく、私は笑いながら、こう言うことがある。──幼児と老人は最も信頼できるし、安心できる。その中間の人びとは、さまざまなこれからの人間模様の旅路であって、まことにその心がつかみにくい場合がある、と。
 私の知人に、面白いお年寄りがいる。Oさんという。まもなく七十の坂を迎えようとするお爺さんだが、矍鑠たるものだ。東京の下町に住み、車の往き来の激しい国道の脇で、ささやかなソバ屋を営んでいる。
 ところで、Oさんは無類の花好きである。苦しい生活のなかからやりくりしたお金で、もよりの駅に花壇を贈ったこともある。
 数年前のある日、Oさんは一つのプランを思いたった。街路樹の下の猫の額ほどのところに花を植えてみよう──。東京の下町といえば、灰色の工場群と密集する家々のなかで、なにせ“緑”が少ない。しかも国道沿いともなれば、ひっきりなしに往来する車の排気ガスで“緑”は死に絶えんばかり。わずかにプラタナスの街路樹だけが頑張っているありさまだ。そんな灰色の風景に、なんとか“緑”の潤いを点ずることはできないものか、と。
 店先のプラタナスの木の下に、五粒のヒマワリの種をまいた。やがて芽を出したが、うち二本は、すぐしおれ、黄ばんでいった。一カ月ほどしてもう一本がダウン。だが、Oさんの丹精こめた世話の甲斐があり、二本は小さな蕾をつけるまでに生長した。一本の茎はまさしく花を咲かさんとしゆく直前に力尽きたが、最後の一本は、見事な花を咲かせた。これに勇気づけられたOさんは、地域の緑化運動に奔走しはじめた。そして、区当局や建設省をも動かす、貴重な一石を投ずることができた。
 私は、Oさんのことを書きながら、わが子を立派に育て上げようとするお母さん方の苦労を思い浮かべている。煤煙と排気ガスにおおわれた空気と同じように、現在の教育環境はあまりにひどすぎる。七月中旬に発表された、昭和五十四年度の『警察白書』によると、少年非行は、千人中十四人にものぼり、戦後第三のピークを迎えている、とあった。昭和二十六年、三十九年が、それぞれ第一、第二のピークであったが、それらの時期にくらべて今回に目立つことは、豊かな社会のなかでの「遊び型非行」の増加である。衝動的な万引き、自転車やオートバイ泥棒、シンナー、覚せい剤犯罪、少女の性非行等々、しかも年々、低年齢化の傾向にある。
 角度を変えていえば、従来の非行は、家庭の貧しさで進学ができなかったり、片親が欠けていたり、比較的原因がはっきりしていた。
 しかし現在は、かならずしもそうではない。家庭環境の大切さは言うまでもないが、そのほかの学校生活、社会全体の病んだ姿が、鋭敏に子どもたちの心に投影されている。いわば“複合汚染”の状態にあるといってよい。それだけに、お母さん方の気苦労も、察するにあまりあるのである。
2  「雑阿含経」という仏典に、徳勝童子、無勝童子の話が出てくる。釈尊の亡くなったあと百年たったころ、インドに善政をしいたアショーカ王の因縁に関するものである。 ──あるとき釈尊が、一つの村に乞食行に出かけた。すると、徳勝、無勝という名の二人の童子(一人という説もある)が、砂場で遊びたわむれていた。なにせ釈尊は、三十二相(仏が身に備えている三十二のすぐれた特質)といわれるほど、威風あたりをはらう荘厳な姿をしていたのであろう。近づくのを目にした徳勝童子は、なにか仏に供養したいと思い、そばの砂を固めて、“沙の餅”を、釈尊の手にする鉢の中へ供養した。それを見ていた無勝童子も、合掌して喜んだ。その功徳によって、のちに徳勝童子はアショーカ王に生まれた、と経文では説かれている。
 日蓮大聖人はこの例を引き「仏は真に尊くして物によらず」と仰せになっている。
 これこそ利害や打算をこえた信仰の尊さを教えた説話であるといってよい。純真な信仰心さえあれば、たとえ“沙の餅”であっても、考えられないほどの福運を積むことができる。私は仏典が、純粋な信仰を童子の心になぞらえたのは、十分に理由のあることだと思っている。
 なぜなら、子どもたちの心には、本来、利害や打算の入りこむ余地はないからだ。邪心のない素直な心の発露──。子らは損得では動かない。興味で動く。好奇心のかたまりである。乾いた大地が雨を吸い込むように、未知のもの、未知の領域を貪欲に吸収しゆくといってよい。かぎりなくひたすら未来を夢見る生来の楽観主義者であり、まっすぐに伸びれば非行や自殺などとは、およそ縁遠いはずなのだ。その可能性の広々として豊かな沃野を、一定の受験技術の習得のために、決して閉じ込めてしまってはならない。
 お母さん方は、どうかわが子の“沙の餅”に心を留めてもらいたい。そこに託された未来からの希望のメッセージに、心豊かに耳を傾けていただきたい。その愛情濃やかな配慮があれば、どんなに社会環境が悪くても、子どもたちは、かならず自分の手で道を切り開いていくにちがいない。ちょうどOさんの店先に咲いた、一本のヒマワリのように。

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