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日蓮大聖人・池田大作

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「観心本尊抄」講義  

講義「諸法実相抄」「生死一大事血脈抄」(池田大作全集第24巻)

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46  無意識の大海は宇宙生命へ広がる
 九州大学の池見酉次郎教授は『心療内科』という著書の中で、無意識の力が身体に様々な病気を起こすことを立証していますが、二、三の実例を取り上げてみたいと思います。
 ある中年の未亡人の社長の話ですが、両側の太ももの付け根あたりから足先までしびれて、自力で立つこともできず、何かにすがらなければ一歩も歩けない状態になってしまった。
 その女性は、結婚してまもなく夫の戦死を知らされ、それ以後は遺児を抱えて自活してきた苦労人ですが、四年ほど前に、ある会社を興して社長として経営に励んできた。ところが、二年ほど前に、信頼していた従業員に売掛金をごまかされて巨額の穴をあけてしまい、非常なショックをうけ、その時から人の心を全く信用できなくなってしまったというのであります。同時に、そのころから、自転車に乗っている時、足のしびれ感に気づくようになって、あらゆる治療をうけたにもかかわらず、一向によくならない。
 この女性の場合、足が立たなくなった原因は、二年前のショックであり、自分以外は信頼できないという無意識の不信感であったことは明らかですが、本人はそれに気づくすべもなかったのであります。
 人間への心からの信頼を取り戻すことによって、初めてこの病気も治療しうるのであります。「立つあたわざるショックのために、本当に足が立たなくなった」という痛ましい話であります。
 また、このような例もあります。数カ月前からジンマシンと吐き気を訴えているサラリーマンの話ですが、この人の症状を日記につけさせたというのであります。
 そうすると、毎週土曜日には、全く無症状であり、日曜日の午後からジンマシンが出始め、水曜日になると吐き気の症状があらわれてきた。さっそく、会社での状況を聞くと、彼は職場で上役とうまくいっていなかった。仕事の内容も自分の希望に反していた。それが入社以来ずっと続いていたのです。
 池見教授は、この病気の原因は、入社の時からの無意識の感情があらわれたものであると示唆しております。
 心の内奥の感情のもつれ、未来への絶望、自己不信などが身体のうえに表出して、ジンマシンや吐き気を引き起こしていたのです。その証拠が、土曜日だけは解放感を味わうから無症状になり、日曜の午後になると憂うつになり、不安や絶望が症状を起こさせているという日記の事実でありました。
 このように、人間生命の無意識層に渦巻く、情念や衝動の葛藤が、色法の世界を混乱させ、病気をさえ引き起こしていくのであります。
 しかし、今まで述べたようなことは、まだ比較的生命の浅い領域の出来事にすぎないのです。人間生命の内面に広がる領域は、我々の想像さえできない深層へとつながっていくのであります。
 ユング心理学者であり、京大教授の河合隼雄博士は『無意識の構造』(中央公論社)で、心の構造を次のように明言しております。
 「ユングはこのような例から、人間の無意識の層は、その個人の生活と関連している個人的無意識と、他の人間とも共通に普遍性をもつ普遍的無意識とにわけで考えられるとしたのである。ただ、それはあまりにも深層に存在するので、普通人の通常の生活においては意識されることがほとんどないわけである」と。
 また、普遍的無意識については「個人的に獲得されたものではなく、生来的なもので、人類一般に普遍的なものである」と。
 この、普遍的無意識という一個の人間生命の最深層は、その名の示すとおり、人類共通の基盤を形づくっているのであります。そして、この深層には、人類発生以来、二百万年とも言われるすべての精神的遺産が流れ込んでいるというのです。
 例えば、これもユング心理学では有名なことでありますが、ユングの弟子、C・S・ホールとV・J・ノードバイは、その著書の中で、人間の蛇恐怖、暗闇恐怖について、次のような趣旨のことを明言しております。
 人間は、生まれてきてから、蛇や暗闇を経験することによって、これらの恐怖を身につけたのではなく、ただ経験は、恐怖の素質を強化し、再確認するだけである。我々は、蛇や暗闇を恐れる素質を遺伝的に受け継いでいる。人類の先祖が無数の世代にわたって恐怖を経験してきたからである。つまり、このことは、人間生命の深層に、先祖の経験が記憶として刻印されている事実の証明となるというのであります。
 だが、無意識の大海は、人類先祖の経験を包含しているにとどまらない。更には、人間以前の動物の先祖の経験さえも含んでおり、最終的には、この大宇宙流転のあらゆる足跡が、一人の人間の最深部に脈動しているというのであります。
 ユングのいだいたイメージは、人類約四十億が一個の生命体であり、更に、この大宇宙自体が巨大なる生命的存在である、そして、一人一人の人間は、その宇宙生命の根源力から生命エネルギーを得て活動する細胞のごときものであったと思われるのであります。この事実を、ユングは普遍的無意識という概念で指し示そうとしたのであります。
47  宇宙に遍満する仏界の生命が我が身に
 「一身一念法界に遍し」の原理は、現代の自然科学の着目した一個の生命の広がりを、直観的に更に宇宙大に拡大してとらえたものであります。仏法のこの発想は鋭く、限りなく人間の可能性を謳い上げたものであります。自然科学が到達した人間の潜在力の解明は、今や地球的規模をも超えるに至っているといえる。
 しかし、仏法の説いているのは、更に広く、法界遍満であります。これほど広く強大なものはない。それを我が一身に涌現した存在を「自受用身」と言うのであります。
 我々が成就するところの自受用身とは「自ら受け用いる身」であります。これを「御義口伝」においては「ほしいままに受け用いる身」と読まれている。仏身とは、自らを自由自在に回転させ、大宇宙をも揺り動かす生命のことであります。
 「我即宇宙」は、決して抽象の世界のことではなく、億劫の辛労を尽くす仏界の振る舞いにあっては、現実の荘厳な事実であると拝すべきであります。
 しかも、この原理によれば、我々の生命の中にも、仏身と同じ力が潜在していることは明瞭であります。あと必要なのは、大聖人と同じ生命を、いかにすれば我が生命の奥底から掘り起こすことができるかであります。
 そのために、大聖人は「観心の本尊」を御図顕してくださったのであります。所詮、「受持即観心」の義が成り立つのは、これを受持すれば観心になる、すなわち仏の悟達になっているという本尊、「観心の御本尊」を顕されたればこそであります。この「観心の御本尊」即三大秘法の大御本尊御図顕に、日蓮大聖人の生涯にわたる御苦闘があられたのであります。
 ゆえに、末法一切衆生のために、信仰の根本対象として大御本尊を建立された弘安二年十月、大聖人は、余は二十七年にして出世の本懐を遂げたと叫ばれたのであります。
 その間の大難は筆舌に尽くせぬものであり、しかも、対告衆たる純信の末法民衆の代表というべき、熱原の農民信徒の死身弘法の実証を機縁にされて、初めて御図顕されたのであります。まさに、弘安二年の大御本尊こそ、仏法の深遠の極理と御本仏の広大無辺の慈悲とが凝集された尊極の当体であり、末法万年の闇を照らす光源であります。
 以来、連綿幾星霜――。「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし」の御金言のままに、本門戒壇の大御本尊の御成光は、我が国をはじめ全世界の人々の生命を照らしつつあります。
 どうか皆さん方におかれては、各自の一生成仏のため、全人類の幸福と平和のために、信心を奮い起こし、勇気を持って行学の二道を進んでいっていただきたいことをお願いして、講義を終わらせていただきます。

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