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日蓮大聖人・池田大作

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末法の御本仏を宣言  

講義「諸法実相抄」「生死一大事血脈抄」(池田大作全集第24巻)

前後
28  したがって、法師品、宝塔品以下は、文のうえからみますと、滅後弘通の人を定めることを目的として展開されたことは明らかであります。しかしながら、ただそれだけではない。再往これをみれば、そこには、滅後弘通の法体そのものが明かされている。これが「本有の妙法蓮華経」であります。
 在世の声聞の弟子達は、過去に下種・結縁がありますから、すなわち本己有善のゆえに、法華経の会座では「諸法実相」の説法、ないし「三車火宅の譬」、あるいは三千塵点劫の結縁の説法を問いただけで、種子を覚知することができたのであります。
 これは、一つのたとえで言えば、かつて歩いたことのある道で、記憶が定かでなく、迷っている場合に似ています。大部分は思い出せるが、一つだけ曲がり角がどこだったか分からない場合、その一カ所だけ教えてもらえば、あとは迷わずに目的地へ行けるのです。舎利弗が「諸法実相」だけで得脱できたのは、これと同じようなものと考えてよいでしょう。
29  ところが、未来、特に末法の衆生は、過去に下種・結縁のない衆生、つまり本未有善の機であります。かつて歩いたことのない道は途中のどこをどのように教えても、目的地を思い出させることはできません。目的地そのものを示さなければならない。この目的地が「本有の妙法蓮華経」です。
 法華経の儀式の中で、法師品以後、特に宝塔品で多宝の塔があらわれ、そこに釈迦と多宝の二仏が並座し、更に十方の諸仏が来至し、本化の菩薩が涌出して展開された、虚空会の儀式は、寿量品で魂を得て、そのまま「本有の妙法蓮華経」を表現していたのであります。
 とはいえ、釈尊の法華経二十八品は、本門といえども、この「本有の妙法蓮華経」にいたる道を図に書いて示したようなものであります。
 「本有の妙法」自体を具現化され、末代幼稚の凡夫に受持させてくださったのが、末法御本仏日蓮大聖人なのであります。
 このように、同じく「諸法実相」と言っても、迹門、本門、文底独一本門の立場で、読み方が異なります。
 文底独一本門に約せば、御本尊そのものが諸法実相であります。更に信心に約せば、大御本尊を受持しぬいた時に、妙法の生命が涌現し、幸福の諸法実相、人間革命の諸法実相として、我が人生が建設されてくるのであります。

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