Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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古代都市の栄光と悲劇 リットン『ボンベイ最後の日』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

前後
6  この長篇の最終章は、ポンぺイ最後の日の人間の生き様を描写することによって、一挙に盛り上がりをみせる。
 死刑執行の直前に九死に一生を得たグラウクスは、ニディアの案内によってアルパセスの家に走り、そこに監禁されていたイオーネを救出する。三人は互いに助け合い、励まし合いながら、脱出の船をめざして海岸へと急ぐ。
 もう一人の死刑囚オリントスは、恐ろしい虎口を脱した運命を神に感謝して、ひざまずいたまま祈りに耽っていた。彼はグラウクスに促されて立ち上がるが、信徒の安否を気づかって逃げようともせず、息子を闘技場で失ったばかりの老人の祈りに唱和していった。
 一方、イシスの僧官たちは気も動顛してしまい、祭壇の周囲に集まって燈明をあげ、香を焚こうとするが、それもできずに居すくまっていた。奴隷たちは皆、逃げだしてしまったのに、ある者は泣いて平伏し、祈り、そして祭壇の前で降りそそぐ土砂に埋まり、永遠の眠りについたという。
7  ボンぺイの発掘は、一七三八年以来、組織的に行われ、ローマ帝政時代の古代都市の全貌がしだいに明るみに出されていった。リットン卿の歴史小説が欧米で反響を呼んだのは、それより百年たったころである。それに刺激されてか、一八六〇年以後、本格的な発掘作業がなされるようになった。以来百年、埋没当時のポンペイ市の三分の二、あるいは五分の四はふたたび陽光を浴びて地上に姿を現し、今日なお発掘は続けられているという。
 埋没当時の模様は、リットン卿の小説では大惨事のように描かれているが、二万人以上の人口のうち死者は約二千と推定され、大半は海上への脱出に成功したようだ。ただし富豪の家に死者が多く、両手に金貨や銀貨を握りしめたまま死んでいたり、宝石箱を持ったまま息絶えた人も見られるという。
 おそらく、一旦は逃げだしたのに、噴火が一時おさまりかけたのを見はからって家に戻り、持てる金銀財宝を運びだそうとしたのだろう。ローマ帝国の富豪たちは、数百あるいは数千人の奴隷を使用していたという記録もあるが、これらの死者のなかには、主人のために財宝を持ちだそうとした忠実な奴隷も含まれているかもしれない。だが、金銀財宝のために生命を落としたその姿は、人間の悲しい性を示しているように思えてならないのである。
 いずれにせよ、ボンベイの最後の一日は、人間の運命と文明の興廃というものを、いやでも深刻に考えさせる。ちょうど今から千九百年まえのその日に何が起こったのか。──懐かしい少年時代の本のぺージをめくりながら、私は遥かな歴史の回想に眠りつつ筆を擱くことにしたい。

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