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日蓮大聖人・池田大作

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古代都市の栄光と悲劇 リットン『ボンベイ最後の日』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

前後
5  「人間の魂」を掘り下げる
 物語の主人公は、アテネ生まれの貴族グラウクスと、ギリシア系の美女イオーネである。二人の恋の物語が粗筋の太い線となって展開していくが、作者の意図は明らかに埋没直前のポンベイ市を再現するところにおかれていた。そのため、たんなるラブ・ロマンスに終わらせず、複雑に入り組んだ人間模様の糸を縦横に織りなしていく。
 光輝くポンペイの繁栄の陰には生涯、奴隷の身に甘んじなければならない不幸な人びとがいた。彼らが自由な市民の享楽的な生活を足下から支えていたのである。作者は目の不自由な花売り娘二ディアを重要人物として配し、彼女の生き方のなかにこそ真実の愛を見いだそうとしているかのようだ。
 この小説のもう一つの主題は、人間の魂の問題である。美しいイオーネの後見人でありながら、死の間際までグラウクスの恋敵であり続けたアルパセスは、エジプトから来たイシス教の黒幕であった。彼は「火の帯の主」として市民から恐れられ、占星術と怪しい秘儀によって莫大な富を築く。
 イオーネの兄のアペーシデスも、はじめはイシス教の僧官であった。だが彼は、いつかアルパセスの邪悪とイシス教の誤りに目覚め、そのころポンぺイの貧しい人びとの心をとらえ始めていたキリスト教に改宗しようとする。
 アペーシデスは、初期キリスト教の熱心な伝道師であるオリントスと相談して、ポンぺイ市民の前に改宗の名乗りをあげる予定であった。ところが、二人の会合の場にアルパセスが来て、アペーシデスは殺され、オリントスは教唆者の罪を問われることになる。たまたま現場を通りかかったグラウクスも、アルパセスと通じていた巫女の調合になる毒薬を飲まされて精神錯乱状態に陥り、アペーシデス殺害の犯人に擬せられてしまった。
 若きグラウクスは悲劇の詩人である。オリントスはまた殉教者であった。そして、情熱的な恋に生きるイオーネ──この三人は、健全なローマの栄光を体現しているかのような、人間性にあふれた生き方の人間像である。
 それに対して、貪婪な妖術師のアルパセスやイシスの僧官カレヌス、富豪のディオメッド家に寄生する人びとは、病めるポンベイの陰の側面を代表する人物として描かれる。さらには、グラウクスとオリントスに死刑を宣告し、二万人を収容する大衆の面前で猛獣の餌食に供しようとする市民の異常性は、近代人たる作者の同感しえない部分であったろう。
 彼ら二人が、まさに公開処刑されようとする寸前に自然は怒りを発し、ベスビオ火山の大爆発を見るという設定になっている。いかにも大衆小説的な結構だが、ここに作者の意図がこめられていることは明らかだ。
6  この長篇の最終章は、ポンぺイ最後の日の人間の生き様を描写することによって、一挙に盛り上がりをみせる。
 死刑執行の直前に九死に一生を得たグラウクスは、ニディアの案内によってアルパセスの家に走り、そこに監禁されていたイオーネを救出する。三人は互いに助け合い、励まし合いながら、脱出の船をめざして海岸へと急ぐ。
 もう一人の死刑囚オリントスは、恐ろしい虎口を脱した運命を神に感謝して、ひざまずいたまま祈りに耽っていた。彼はグラウクスに促されて立ち上がるが、信徒の安否を気づかって逃げようともせず、息子を闘技場で失ったばかりの老人の祈りに唱和していった。
 一方、イシスの僧官たちは気も動顛してしまい、祭壇の周囲に集まって燈明をあげ、香を焚こうとするが、それもできずに居すくまっていた。奴隷たちは皆、逃げだしてしまったのに、ある者は泣いて平伏し、祈り、そして祭壇の前で降りそそぐ土砂に埋まり、永遠の眠りについたという。
7  ボンぺイの発掘は、一七三八年以来、組織的に行われ、ローマ帝政時代の古代都市の全貌がしだいに明るみに出されていった。リットン卿の歴史小説が欧米で反響を呼んだのは、それより百年たったころである。それに刺激されてか、一八六〇年以後、本格的な発掘作業がなされるようになった。以来百年、埋没当時のポンペイ市の三分の二、あるいは五分の四はふたたび陽光を浴びて地上に姿を現し、今日なお発掘は続けられているという。
 埋没当時の模様は、リットン卿の小説では大惨事のように描かれているが、二万人以上の人口のうち死者は約二千と推定され、大半は海上への脱出に成功したようだ。ただし富豪の家に死者が多く、両手に金貨や銀貨を握りしめたまま死んでいたり、宝石箱を持ったまま息絶えた人も見られるという。
 おそらく、一旦は逃げだしたのに、噴火が一時おさまりかけたのを見はからって家に戻り、持てる金銀財宝を運びだそうとしたのだろう。ローマ帝国の富豪たちは、数百あるいは数千人の奴隷を使用していたという記録もあるが、これらの死者のなかには、主人のために財宝を持ちだそうとした忠実な奴隷も含まれているかもしれない。だが、金銀財宝のために生命を落としたその姿は、人間の悲しい性を示しているように思えてならないのである。
 いずれにせよ、ボンベイの最後の一日は、人間の運命と文明の興廃というものを、いやでも深刻に考えさせる。ちょうど今から千九百年まえのその日に何が起こったのか。──懐かしい少年時代の本のぺージをめくりながら、私は遥かな歴史の回想に眠りつつ筆を擱くことにしたい。

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