Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

信念に生きる青年のドラマ デュマ『モンテ・クリスト伯』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

前後
7  作者のデュマにしても、これを悪人必罰の復讐譚で終わらせるには限界があることを、あるいは感づいていたかもしれない。
 フェルナンが自殺し、ヴィルフォールは発狂し、そしてダングラールが破産したにもかかわらず、ダンテスの心には、復讐の達成による充足感はなかった。彼は罪悪感にさいなまれ、空しさに揺れる心情を告白している。
 「わたしを敵にたいして反抗させ、わたしを勝たせてくれた神、その神は(わたしにはよくわかっている)わたしの勝利のあとにこうした悔恨の気持をもたせたくないと思われたのだ。わたしは、自分を罰したいと考えた」
 つまり作者は、ダンテスにこのような悲痛な言葉を吐かせなければ、その作品の幕を閉じられなかったのであろう。ここに私は、デュマの本心を見る思いがしてならない。
8  ともあれ恩師は、一篇の小説を読むに際しでも、物語の底流にある思想は何か、作者の意図がどこにあるかを深く読みとらなければならない、と言われる。さらに、その作品が世界文学であれば、舞台となる国の社会事情や時代背景を事前に調べておく必要があろう。
 私たちは『モンテ・クリスト伯』を読むにあたり、この小説の背後につねに見え隠れするナポレオンの存在にも注意を払った。また、フランスにとっては未曾有の動乱期にあたる十九世紀初頭の歴史を、絶えず念頭におきつつ読んでいったのである。既成の権威が崩壊し、キリスト教の力も弱まりつつあった時代──人心の動揺する社会にデュマの『モンテ・クリスト伯』が喝采を博した背景も掘り下げられた。
 そうした青年の熱っぽい議論を聞きながら、恩師は時に厳格な表情を見せつつも、いかにも愉しそうに語っていた姿が忘れられない。今にして思えば、戸田先生は私たちに貴重な教訓を、全力を世げて遺されたのである。

1
7