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日蓮大聖人・池田大作

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貧しい人びとへの共鳴 ユゴー『レ・ミゼラブル』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

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8  私の恩師は朝礼の訓話で、しばしばジャン・ヴァルジャンの人物像を語りながら、仏法者のあるべき人生というものを教えられていた。
 私も、仏法を実践する一人として、同志の人生を見るような思いで『レ・ミゼラブル』を読んだ。同時に、人間の内面を真摯に見つめ、そのなかに善の光明を探究し続けたユゴーという作家に、私は何か親しみさえ覚えるのである。
 悲惨を鳥瞰するのではない。『レ・ミゼラプル』は、貧しい人びとへの共感によって描かれたものである。人物を描いても、歴史を探っても、町の様子を書いても、ユゴーの視座は一寸も動かない。彼は、つねに底辺から如実に観察し続ける。
 たとえば、ワーテルローの真の勝利者はウェリントンではなく、無名の兵士カンプローであるというように。また、パリという都市を描写するのに、彼は貴族の豪邸には眼もくれず、下水道を見て歩くといったように──。
 『レ・ミゼラプル』には歴史の記述が多い。これは一見、ストーリーとは無関係な気まぐれの配剤のようであるが、決してそうではない。歴史という大状況と、レ・ミゼラプル(みじめな人びと)という小状況とが、じつに鮮やかに連関を保っている。歴史を描写することによって、ミゼラブルな状況が、より鮮明になるという計算しぬかれた作者の企図が成功している。
 ユゴーは『レ・ミゼラブル』に十数年の歳月を費やした。ジャン・ヴァルジャンにはピエール・モーランという実在のモデルがおり、その事件は一八〇一年に起こっているから、それから起算すると六十年間の労作ともいえる。
 ジャン・ヴァルジャンの数奇な人生は、ユゴーの一面に似ている。ユゴーは一八四五年に貴族院議員になったが、のちに共和主義者となり、一八五一年十二月に起こったルイ・ナポレオン(三世)のクーデターに反対する。抵抗者への虐殺が始まり、身の危険を感じた彼は英仏海峡のガーンジー島に亡命する。以後、ガーンジー島に蟄居しつつ『レ・ミゼラブル』の完成を急ぐのであった。
 モントルイユ・シュル・メールの市長となったジャン・ヴァルジャンの姿は、ユゴーの心のなかで、みずからの人生と一体化していたのではないだろうか。ジャン・ヴァルジャンは墓に名を刻むことを拒否して死んでいったが、ユゴーも遺体は貧者の枢車に乗せて、貧しい人びとに囲まれながら死んでいくことを、生前から望んでいた。
 ヒューマニズムを体現化したジャン・ヴァルジャンこそ、ユゴーの理想像であったろう。みずからが生みだした作品の主人公に、死の寸前まで一体化することを欲していたように、私には思われるのである。

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