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日蓮大聖人・池田大作

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人間共和の旗を掲げて ホール・ケイン『永遠の都』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

前後
6  私が戸田先生から頂戴した『永遠の都』は、改造社版の戸川秋骨訳になるものである。奥付を見ると、昭和五年(一九二一年)七月二十日発行となっている。出版されてから、かれこれ半世紀近い歳月が流れた。
 訳者の戸川秋骨は、明治三年(一八七〇年)十二月、熊本生まれの英文学者である。彼は明治二十六年(一八九三年)一月、雑誌「文学界」の創刊にあたっては同人となり、島崎藤村や馬場孤蝶と交わりをもった文学青年であるという。東大英文科を卒業すると、その後は高校教授を経て、慶応義塾の教授をつとめた。
 イギリスの大衆作家ホール・ケインが、イタリア生活をもとにして『永遠の都』を書きあげたのは、一九〇一年である。その出版後まもなく、戸川は原本を取り寄せて一読し、非常に面白い小説であると思って友人と翻訳に取りかかった、と記している。
 ところが、当時の出版事情からすれば、とても全訳は叶わなかったのであろう。原作の半分以下、いや三分の一程度の抄訳となっている。
 欧米の読書界においては、ケインは絶大な人気をもつベストセラー作家であった。しかし、わが国には馴染みが薄いのは、そのキリスト教的社会主義の政治的識見によるものであろうか。秋骨が抄訳を余儀なくされたのも、どうやら思想取り締まりを警戒したのが、一つの理由であったようだ。
7  三十年の歳月はあらゆるものを改新した。当時かなり珍らしくまた革新的だと思つた、この書中に説いてある事も、今日では頗る平凡な事、殆んど尋常な事になってしまった。否、今日ではこの書中に暗にほのめかされて居る事物も、多くは事実となって居て、それよりも遥かに痛烈な事が往々主張されて居る。併しこの書は小説である。決して主張をのべたものではない。而も今日の階級的意識を強調する小説とは全然異ったものである。どこまでも面白味を主とした小説である。
8  訳者は昭和五年の序文に、こう書いている。決して危険な革命思想ではない、面白さを主とした大衆小説であると、わざわざ断っているのである。
 当時、満三十歳になったばかりの戸田青年は、この小説を初めて読んだとき、どのような思いを抱いたのであろうか。──宗教革命に一身を捧げる以上、あるいは将来、牢につながれる運命に遭うかもしれない。嵐のような弾圧も、覚悟のうえで進む以外にない。──そのような決意を固められた際には、おそらく恩師の脳裡にロッシやブルーノの姿がよぎったこともあろう。
 はたして戸田先生は、師と仰ぐ牧口初代会長とともに、軍国主義政府によって囚われの身となった。その獄中における生活は、今なお語りつがれるほどの苛酷さである。拘置所の門をくぐった者には、転向か、拷問か、さもなくば栄養失調による獄死が待っていた。
 日ごろ仏法の何たるかを語りあってきた同志が、退転して一人去り、二人去る姿を見て、戸田先生の心中は、言いしれぬ寂しさに沈んだことであろう。二年近い獄中生活ののち、牢から出てきたときには、創価教育学会は壊滅状態にあった。
 戦後、ただ一人荒野に立ち、民衆救済の無血革命を誓った恩師の雄姿を思うとき、今でも私は、ロッシに思いを馳せ、ブルーノの同志愛に心を運ぶのである。

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