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日蓮大聖人・池田大作

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風雪に耐えて咲く夫婦桜 鄧穎超女史  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
3  七十五歳。白髪まじりのおかっば頭。小柄な体を包む茶色の中山服。質朴淡如としたなかに稟とした気品が漂っている。また頭脳の鋭さ、明晰さは、衰えを知らぬげである。
 女史は、長い革命の歳月に鍛え抜かれた闘士である。名門・天津女子師範学校在学中に勃発した、祖国独立を求める「五・四運動」では、日本から帰ったばかりの周青年を知り、戦いをともにしている。鄧女史は遊説部長として、街頭や農村で宣伝工作に努めた。
 デモでは警官隊とわたりあい、周総理が警察に捕らわれると、その釈放のために抗議におもむき、「われわれを身代わりに投獄せよ」と迫ったという闘志の持ち主である。時に鄧女史は十六歳の女子学生であった。
 あの一万二千余キロにおよぶ長征にも、二人はともに加わっている。
 終日終夜、原野を走り河獄を越える強行軍は、女性の身には酷烈をきわめたにちがいない。栄養が行き届かぬうえに、心身ともの過労から、鄧女史は途上、肺病に倒れてしまった。同じころ周総理も肝臓を患い、夫妻ともども担架に揺られていたこともある。
 夫妻が、あの長征を生き延びたのは奇跡的ともいわれる。
 私は、北京で鄧女史に会う前、初めて南京を訪れ、新中国誕生前を夫妻が過ごされた梅園新村に行ったときのことを思い出す。夫妻は敵の厳しい監視下に生活されていた。その家の中に、雨花石と呼ばれる血のように真紅に染まった小石が保存されていた。夫妻が、革命の先駆者十万人の処刑の血を呑んだという雨花台から拾ってこられたものである。あの長征を生き抜いた夫妻は、危機と隣り合わせに生きていた南京時代、この先人たちの血に洗われたような雨花石を見つめながら、未来を凝視していたのであろうか。
 一九二七年、厳しい弾圧のなかで地下にもぐったときに愛児を亡くされたと聞く。こうした悲しみも一切乗り越えて、二人は中国の建設に生き抜いてこられた。
4  眼前の部女史は、そんな主義主張を貫く芯の強さを内に包みつつ、あくまでも気さくでやさしそうな笑顔を絶やさずにおられる。全国人民代表大会常務委員会副委員長、党中央政治局員といういかめしい肩書きが似つかわしくないほど穏やかで、庶民的な方である。
 革命に生き抜いた人物ゆえ男性的な方と思っていた。しかし三度の語らいのうちに、女史の濃やかな神経の行き届いた応対と、温かい人柄に、女性らしい、心の優しさを内面に豊かにたたえた人であることを知った。
 その優しさ、濃やかな心配りが、激務の周総理を、その生命の火が消えゆくまで強く支えつづけたのであろう。
5  寒風に耐え抜いた桜は、時が満ちれば絢澗と咲き薫る。
 六十年の風雪に耐え抜いた不動の美しさと気品が、女史には輝いていた。
 あの若い″周夫婦桜″も、幾春秋を経て、やがて大樹に育ちゆくことであろう。そんな桜の花かげに、にこやかにたたずむ鄧女史の姿がふと想像されるのである。

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