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日蓮大聖人・池田大作

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遥かなるアンコールワット シアヌーク殿…  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
7  日本に帰ってまもなくコサマク皇太后の逝去が報じられた。会見から十日後のことである。アンコールワットへの埋葬は長く実現しなかったようである。一方で、鄧小平副首相の失脚が伝えられるなど、世界は激動していた。
 その後の殿下の消息は、あまり伝えられなかった。三年近く外国人と一切会わなかったようである。
 一人民として国家建設に寄与し、政治には関わりたくないという談話もあったほどで、第一線から退いていた。
 しかし時の到来とともに、歴史は再び、この人を国際舞台に押し戻したようだ。カンボジアの首都プノンペンが陥落し、殿下はニューヨークの国連に出向かれたのである。
 殿下は再び登場したが、前途には、何が待っていることであろう。
 四年前よりも、さらに厳しい情勢が予想されている。
 激動の人生はなおつづくであろうし、悲劇の人ともいえる。
 強き意志と情熱の人でもある。
 シアヌークとは「獅子の心をもっ人」という意味があるという。荒野を疾走する獅子のように、殿下は、道なき道を走りつづけなければならない運命にあるようだ。
 私はとの二月(一九七九年)に、インドへ旅した。旅立つ前、鄧小平副首相もシアヌーク殿下もアメリカに滞在しておられた。
 両者とも、お会いした後、歴史の激流のなかに、ひとたびは、杳として消息が伝えられなかった方である。
 その二人が、再び現代史の渦中の人となり、殿下は、アメリカから北京に帰られた。その後、中国とベトナムは戦火をまじえ、インドシナ半島は激動をつづけている。
8  たった一度の出会いだったが、私は事の成否はともかく、殿下のつつがなき健康を祈りたい。とともに、今後、殿下が政争のためではなく、庶民の安穏を守る調停者としての行動に徹されることを、切に念願するものである。繁多のなかでも、おそらく殿下の胸中には、静寂にして雄大なアンコールワットの遺跡が思い描かれているにちがいない。
 歴史の潮騒をよそに、アンコールワットの遺跡は、今も密林の奥にひっそりと沈んでいよう。壮麗な建物は、幾度か硝煙を浴びたこともあった。クメールの微笑が、現実の庶民の徴笑となるのは、いつの日であろうか。

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