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日蓮大聖人・池田大作

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″民主″の星 リンカーン  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
7  今日に伝えられるリンカーンの肖像、写真を見ると、広い額、高い鼻、鋭く温かい眼光、やせた面長な顔は、聡明な頭脳と強靭な意志とのなかに、どこか憂いを漂わせている。ホイットマンが「一種特別な色、そのしわ、目、口もと、表情、専門的にいう美というものはどこにもない。だが、偉大なる芸術家の目には、なかなかまたと得難い研究の対象となり、よろこびとなり、また大きな引力ともなるであろう」(石井満著『リンカン』旺文社)と評したように、その憂いは、常に決断を迫られ、辛酸をなめつくしてきた、いわば境界線上を生きてきた人間からにじみでる経験の深さと思えてならない。私は「四十をすぎた人間は、自分の顔に責任をもたなければならぬ」というリンカーンの名言を思い出すたびに、ほかならぬ彼自身の″顔″を、いつも想い起こすのである。
 のみならず、彼の顔は、一種の宗教的色彩さえ帯びていると、私は思う。顔だけではない。歴史に残る彼の名演説の多くは、政治次元を超えた、宗教的使命感を、色濃く漂わせている。激戦の地、ゲティズバーグにおける不朽の言葉「われわれの前に残されている大事業に、ここで身を捧げるべきは、むしろわれわれ自身であります――それは、これらの名誉の戦死者が最後の全力を尽して身命を捧げた、偉大な主義に対して、彼らの後をうけ継いで、われわれが一層の献身を決意するため、(中略)またこの国家をして、神のもとに、新しく自由の誕生をなさしめるため、そして人民の、人民による、人民のための、政治を地上から絶滅させないため」、さらに、第二次大統領就任演説「なんびとに対しても悪意をいだかず、すべての人に慈愛をもって、神がわれらに示し給う正義に堅く立ち、われらの着手した事業を完成するために」(前出、『リンカーン演説集』)。
8  これらにみられるトーンは、明らかに宗教的使命感であるピリグリム・ファーザーズ(メイフラワー号で新大陸に渡った清教徒の一団)以来の、ジェファーソン等建国の祖父たち以来の――。それはR・N・ベラーのいうように「アメリカの伝統に非常に深くひそんでいる一つのテーマ、すなわち神の意志を地上で実現するという集団的、個人的な義務」(『社会変革と宗教倫理』河合秀和訳、未来社)であり、事あるごとに指摘される、アメリカ民主主義の復元力と呼ばれるものも、ここに由来するといわれる。南北戦争は、その伝統が直面した、最大の試練であった。その戦乱のなかに身を焼き、伝統を、新たな蘇生へと向かわしめたのが、リンカーンその人であった。彼の演説が極度に宗教色を強めているのも、当然といえばいえよう。
 また彼が、イエス・キリストに擬せられたり、彼の生涯が、必要以上に神話化、伝説化される所以もここにある。当時の、そして以後の人びとも、彼の言々句々に、聖書の言葉にも似た救世、回生の響きを聞きとったにちがいない。リンカーンは、多分、それと意識してはいなかったであろうが、アメリカ民主主義の精神を回生させる、壮大な歴史ドラマの主役を演じたのであった。
 彼は人間を愛し、同胞愛を叫んだ。しかしそれは、観念的、抽象的なコスモポリタニズムと違って、百折不撓の実践のなかから発した叫びであった。善かれ悪しかれ、アメリカの伝統にしっかりと根をおろした、生きた人間の声でもあった。
9  南北戦争以来百有余年、リンカーンの体現していた伝統の精神は、どれだけの命脈を保ちつづけているであろうか。それを判別するほど、私は彼の国の事情に詳しくない。ウォーター・ゲートの事件のとき、祖父の時代に帰れと声高に叫ばれていたのをみると、まだまだ生きつづけているのかもしれない。だが、ベトナム戦争という、精神史的には南北戦争以来の大試練が、数百年の伝統と使命感を、大きく汚してしまったことも事実といわねばならない。リンカーンが、今日生きていたとすれば、その顔に浮かんだ憂いは、いっこうに晴れないにちがいない。
 私の二十代のことであったろうか。ラジオが「私は奴隷になりたくない。だから奴隷を使う身にも、なりたくない」という趣旨の、リンカーンの言葉を流していたのを記憶している。福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」などと並べて、繰り返し放送していた。この偉大な憐欄と人間愛が、人類の頭上に陽の目を見るのは、いつの日であろうか。

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