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日蓮大聖人・池田大作

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ホイットマンの人間讃歌  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
7  彼の自画像は以上のごとくである。長身、威風堂々と潤歩する姿は衆目を集めたろう。「わたしはズボンの端を長靴のなかへたくし込み、出かけて行って愉快な時を過した」(前出)と自らの陳べているごとく、服装もあまり構わなかったらしい。常に質素で、しかし清潔なホイットマンの身なりは、人びとの親しみと愛情を勝ち得るにふさわしいものだった。
 しかし私は、ホイットマンの肖像に、もう一つ別の面をみている。それは彼の目である。心に財産をもっ人の目は、常になんらかの光を湛える。ホイットマンの目も多くのものを語りかけている。陽気な、屈託のない好々爺のそれを超えている。
 かつてホイットマンを、開拓期のアメリカが生んだ楽天的な詩人と評する人もいた。たしかに南北戦争前の彼の詩は理想主義が高らかに謳い上げられている。またその後においても、いかなる悲劇にあっても人生を肯定して生き抜く姿勢を貫いた。その意味で楽天的といえるかもしれない。しかしその楽天主義は、私には悲劇的響きさえ含んでいるように思える。
 ホイットマンは自分を「騒動好き」と紹介しているが、彼をよく知る人は、彼を口数が少なく沈黙を好んでいたと証言しており、騒々しいだけの人間ではなかったことがわかる。彼の詩には、南北戦争後、精神的深化をみることができる。人間の苦悩の現実のなかに、詩もまた人間の深部の叫びを謳うものとなっていった。彼の詩は無量の人生の痛苦と挫折のなかに、深い懊悩から込み上げる魂の曲へと昇華していった。それはともに、静寂な宇宙への回帰の願望さえ漂わせている。
8  彼の後期『草の葉』の代表作に「印度への通路」という詩がある。これは単に精神的にインドを求めたばかりではない。インドに表徴される大宇宙への還元をも彼は願求していたと考えられる。「おお、さらに遠く、さらに遠くへの帆走!」(前出)。彼の詩はここで終わっているのである。生と死――彼は現実の極限にあって、なおかつおおらかに生き、そして死をもみつめていた。
 ホイットマンの目が、その奥深さを語りかけてくれるのもこのゆえではなかろうか。彼ほど涙した人間はいないのではないかと思う。涙する人間にして、初めて事象の背後がみえてくる。草の葉の美しさ、自然の摂理の不思議さ、そして、なにより人間の尊さが色彩豊かに浮かび上がってくるのではなかろうか。
 「涙」という詩は、もう一つのホイットマンをみせてくれるようだ。そこでの涙は、陽気な号泣や乾いた涙でも、安っぽい同情などのそれでもない。「夜、寂寞の中」の涙であり、「真暗な物淋しき」にあるものであり、「息も絶え絶えに泣き叫ぶその痛苦」である。そしてなにより「孤独」の涙である(『草の葉』有島武郎選訳、岩波文庫)。人生の深淵を垣間見た涙がそこにはある。
 その涙の彼方に、ホイットマンは広大な新天地を眺望する。死線を越えた人に生の輝きが鮮やかに迫るように、多くの傷兵に涙したホイットマンに、人間への限りなく大きい、そして不動の愛情が生まれたのだと、私は信じたい。人の心奥を地震のごとく揺り動かし、断固として立ち上がらせる精神の溶岩流が、こうしてできあがったのであろう。
9  その精神の光は、彼が逝って(一八九二年)八十六年、以前にも増して私の命の奥に輝いている。それは、生死一如の人生極限の道に迫り、怒濤の現実を生き、死をも包む愛情の光をみるからである。
 ――今「わたし自身の歌」の最後の部分が目に焼きついて離れない。
  わたしはわたしの好きな草から発芽するやうにと土にわたし自身を遺贈する、
  若し君たちが再びわたしに用があるならば、君たちの靴底の下でわたしを捜したまえ。
  君たちはわたしが誰れであるか、またわたしが意味するものは何であるかを知ることがあるまい、
  だが、そんなことは問題ではなくて、わたしは君たちに対してよい健康とならう、
  そして君たちの血液を浄めるものになり、またその力とならう。(前出、富田砕花訳)
 (ホイットマンの生涯については、「『ホイットマン詩集』白鳥省吾訳、彌生書房」の解説を参照)

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