Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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レオナルド・ダ・ヴインチの眼光  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
3  経験を師として万般に通じていたレオナルドの合理的思考は、彼の生きた時代を考えるとき、驚くべきことである。ちなみにローマ法王さえ、常時、身辺に占星家をおいていた時代である。人びとの頭脳は権威と因習に支配されていたが、彼の明噺な思考は、その非合理を見抜いて魔術や占星術には鋭い批判を加えている。
 たとえば彼は、当時の人びとにとって絶対の権威であった『聖書』に説かれるノアの大洪水も、水の性質からありえぬことだと、きっぱりと否定している。当時、山の中から発見される海産動物の化石は、ノアの洪水を証明するものだとの説が有力であったが、水が上がったのではなく地盤が隆起した、つまり地殻変動の証拠としてとらえる科学的思考が、彼にはあった。
 このような合理的思考をもっレオナルドが、キリスト教の神を信じていたかどうか。彼の手記を通して感じられることは、無関心ということである。
 彼が神をいう場合、それは彼の鋭敏な眼光によって洞察された宇宙、自然の法理なのである。彼は手記のなかに「自然の中には理法なき結果は何ひとつ存在しない」「自然は、経験の中にいまだかつて存在したことのない無限の理法にみちみちている」「自然は、自己の中に渾然と生きている自己の法則の理法によって強制される」(前出)等と書きしるしている。
 レオナルドの神はここにある。その彼は、大自然を観察して次のように言っている。
 「感覚的な生命も植物的な生命もあるいは理性的な生命も存在しないところには何ものも発生しない。(中略)大地は植物的な生気をもっているといってよかろうし、またその肉は大地、その骨は山脈を構成している連続せる岩石層であり、その軟骨〔筋肉〕は凝灰岩であり、その血管は水脈であり、心臓の周りに横たわれる血の池は大洋であり、その呼吸や脈搏による血脈の増減はまた大地においては海の潮汐であり、そして世界の生気の熱は地中に瀰漫せる火であり、植物的な生気の住居も、大地の四方八方の地点から温泉、硫黄鉱、火山――例えばシチリアのモンジベルロ山その他非常に多くの場所――となって噴出するあの火の中にある」(前出)
 レオナルドにとっては、地球も一個の生命であった。否、宇宙さえも巨大な生命と映ったであろう。彼は現象の奥に実在を求めるのではなく、奥にあるものを現象に即してみようとした。ここに眼光の鋭さを感ずる。
 彼の独自の「眼」は絵画にも見られる。
 「自然や風景が自覚的に絵画の主題として採り上げられたのは近世のことであって、絵画論としては恐らくレオナルドが初めてであろう。古代以来西洋の絵画は人間をしか主題としていなかったのである」(下村寅太郎著『レオナルド・ダ・ヴィンチ』勤草書房)
4  レオナルドは自己がその一部であるところの大自然の転変を貫く理法をみようとしていたのではないか。彼が風景を描き、草花をスケッチしたのは、そこに無限に広がる時間と空間に秘められた理法を表現しようとしたのだと、私は考えたい。
 現実に即してそこに宇宙の秘密を洞察しようとした彼は、人間に対しても写実の眼で迫っている。しかし写実に徹しながら、彼の描く人物は温かく、美しい。彼の「眼」は冷酷な機械のそれではなく、熱い血をもった正確な知見をそなえている。彼は、人間の神性をあらわすために他の画家がよく用いた、非現実的なあの光輪のごときものを必要とは考えてはいなかったようだ。人間に神性的なものがあるとするならば、人間それ自体のなかにある、との直観をもっていたにちがいない。
 自然の転変をみても、そこに超越的な存在を考えようとはしていない。彼はひたすら現実を凝視し、一切のものは生成死滅するという万物流転の法理に至っている。彼の思考はすでに西洋を超えていたのかもしれない。
 「リオナルドは東洋を知っている、外面的にも内面的にも充分に。それは、リオナルドの中にある何等か超ヨーロッパ的なるものであり、よきものも悪しきものもすべてを広範囲に亙って見つめた人間を特徴づけるところのものである」(『ヤスパース選集』4所収「リオナルド・ダ・ヴインチ」藤田赤二訳、理想社)と評したニーチェは、レオナルドの内実を鋭く見通していたのであろう。
 彼は「万能の天才」と称賛されている。偉大な画家であったことは当然として、すでに述べたように彫刻家であり建築家であり、土木技術者であった。また発明家、自然科学者の側面もあった。しかし彼の偉大さは万能であったことにあるのではない。才能が万般に開かれた所以が大切なのだ。そこに彼の偉大さが明らかになる。
 彼はあらゆる分野にわたって自然と人間を貫く法理を探ろうとしたのだ。彼にとって絵を描くことは決して目的だったのではない。同じように、土木や都市計画の技術も、光学も生理学も、すべて宇宙の法理を探らんとする方法として、彼は取り組んだのである。
 彼の仕事における多くの未完成は、このことと深く関わっている。彼にとっての大目的の前には、小目的の完成、未完成はもはや問題ではなかった。彼は万能たらんとしたのではなく、根源の法理を求めようとして、その才能を万般に開かざるをえなかっただけである。
 彼の「眼」は、そしてあふれでやまぬ才能は、彼をあらゆる方向に走らせた。彼にはあまりにもすることが多過ぎた。必然的にそのいずれもが未完とならざるをえなかった。彼は一個の人間の歴史に刻印する仕事の少なさを歯ぎしりしながら痛感していたにちがいない。彼はどこまでも孤高であった。
5  彼が生きた一四〇〇年代から一五〇〇年代にかけての時代は、文化的には絢欄たるルネサンスの花が開いたときであったが、政治的には未曾有の混乱期にあった。マキアベリが活躍したこの時期は、権謀術数の渦巻く戦乱の時代であった。レオナルドは、自ら時代の荒波にもまれながらも、しかしこうした政治の世界にはほとんど言及していない。同じ時期を生きたミケランジェロが、生活の不安と動揺のなかで苦悩し、激情し、絶望しながら生きたのに対し、レオナルドは、静かな湖水のごとく、その水面に一切を映し出しながら、人間と自然の発見に刻苦の歩みを着実につづけていたのである。
 彼が手がけた分野は、人類に普遍な分野である。彼の「眼」は世界に向けられ、未来に向けられていた。その彼にとって、一国の利害に明け暮れ、変転常なき闘争の政界は、自らを没入させるに値しない世界と映ったのではなかろうか。
 彼はむしろ、盛衰を繰り返す世の諸相をみればみるほど、そこに生成死滅の理をみていたのかもしれない。彼はただひたすら、自己の宿命に生きたのである。
 彼は言う。「星の定まれるものは左顧右眄しない」と。彼は世に尽くすことを願いながら、疲れを知らぬ努力をつづけた。しかし、彼の仕事は、すべて未完成に終わったようである。
 だが、生涯にわたる飽くなき自己探究の姿勢は、彼の言葉とともに、今も私の心を打ちつづけてやまない。
 「可哀相に、レオナルドよ、なぜおまえはこんなに苦心するのか」(前出、『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』)

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