Nichiren・Ikeda
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ノーベルの遺産
「私の人物観」(池田大作全集第21巻)
前後
6 病める体をすり減らし、寿命を縮めての苦闘にかかわらず、彼の申し子は猛烈な勢いで変容を遂げていく。地球はまさに火薬庫の様相を呈していた。
少年期における自然との対話、これが彼の平和への熱望の栄養素であったと自ら述べているが、青年期における詩人シェリーからの影響――それらを通して得た詩情豊かな平和主義が、どす黒い戦争主義者の魔手に蚕食されながら、絶望的な戦いを繰り広げるのは、凄絶でもあった。
戦争に使われる爆薬の発明家が、平和の促進を叫ぶのはおかしいという非難がある。しかし、これは科学技術に対する彼の考えのなんたるかを理解していない。彼にとっては発明者が悪魔なのではなく、利用者が悪魔なのである。しかしそれでも、自己の果たす役割を求めて模索をつづけた。技術的に爆薬の破壊力を最大限に高めれば、かえって爆薬そのものが戦争を抑止するであろうと考えたこともある。
私は軍備増強による戦争抑止論には反対である。しかしこの考えは、今世紀の悲しむべき現実となってしまった。
戦争防止の対策は、平和を撹乱する国に対して各国が共同して防衛に努めることだ、と主張したこともある。これは国際連合の基本理念に通じるものである。
そして、広範囲の啓蒙が人類の魂を高め、平和がやがては戦争を解消するにちがいないと信じるに至っている。
7 新たなる世紀の開幕まで数年を残すのみとなった一八九五年の暮れ――「魂の遺言」がしたためられた。
彼には巨大な遺産があった。それで基金をつくり、その利子で毎年、人類に尽くした人びとに賞金として与えるのである。物理学、化学、生理学、医学上の重要な発見、思想的文学への寄与、そして世界平和への努力、それらに賞を与える。「この賞金は、国籍を問わず授与することとし、スカンジナピア人であろうと、外国人であろうと、最も立派な資格のあるものに授与してもらいたい」これが遺書の概要であった。
科学技術文明との格闘に、壮絶なる人生を歩んだ生命の絶叫である。己の創り出したものの大きさに恐れおののきながら、その平和利用へ泥まみれになって奔走しつつ、大きな絶望と、かすかではあるが人類の前途への確かな光明を確かめておこうと、彼は祈るような気持ちで逝ったにちがいない。否、そのような気持ちをいだかなければ彼は救われなかったともいえる。
8 いまだ世界は動乱の巷である。バラ色の平和の芽は発見できそうにない。しかし、人類は闇のなかに滅びてはならない。
平和への、正しい技術の発達への、そして詩情豊かな精神への星光を美しく輝かせつづけていかねばならない。――苦闘の生涯を終えるにあたって、一通の遺書に託したノーベルの魂が、後継の友を呼んだ。
ノーベルの業績は、彼の生存中になした発明の数々もさることながら、その死後にノーべル賞として残された功績のほうが、世に知られているようである。
しかしそれが、特定の個人の業績をたたえる賞として終わったり、平和とは反対の方向へ進む風潮への歯止めにならなかったなら、その意味は失われるであろう。
一人の科学者の遺産が、人類の醜悪な抗争を防ぎ、平和努力を促す精神的遺産として、一部の人にとどまらず、すべての人びとの心に生きたとき――その悲願は達成されるにちがいない。
ともあれ、科学技術の進展が世界平和と結びつかない現代社会をみて、ノーベルは自らの宿業に、深い悲しみの曲を聞いているのでは・なかろうか。