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日蓮大聖人・池田大作

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家庭教育における父親の役割  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

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1  親しい友としての対話を
 富士の麓の、国道から少しばかり奥まったところに、小さな農園がある。
 農園といっても、裏庭を拡大したぐらいの感じしかうけない、ささやかなものだが、それでも懐かしい大地の香りがたちこめていることだけは確かである。
 春や夏の休暇を迎えると、母なる自然のぬくもりを知らない都会の子供たちが、ここへ嬉々として集まってくる。私も数日間、この農園に遊びに行き、集まった多くの子供たちと過ごすのが、ここ数年間の年中行事の一つになってきた。私は、自分の子供については、まったくかまってやれなかったから、今はせめても広く社会の子供と接するようにしているのである。
 夏の暑い日など、燦々と降りそそぐ陽光を受けて、私も子供心に帰って、彼らと一緒に芋掘りをしたり、木々の間を散策する。麦わら帽をかぶって素足で畑と格闘する心安さは、もう都会ではすっかり失われた醍醐味だが、それがここでは蘇る。
 子供たちは学業からも解放され、“楽園”を取り戻した輝きをみせている。土をこねたり、次々と姿を現す握りこぶしぐらいの芋の子に歓声をあげたり、畝を巧みに使いわけての鬼ごっこに興じたり、相撲をとりだすやんちゃ坊主も出るしまつである。なかには元気すぎる女の子が年上の男の子を追いかけたり、ともかく泥まみれの競演が始まることも珍しくない。
 私はつくづく、子供は遊びの天才であると思う。そこには何千円もするプラモデルもなければ、電気じかけの高級なモデルカーも、プラスチックの人造人間もない。しかし、この子供たちは、泥んこの土と、雑草と、井戸から汲みあげた清水とを材料に、大人など思いもつかない巧みな遊びをつくりだしていく。人間の特質をとらえて“遊ぶ人(ホモ・ルーデンス)”と言った哲人がいたが、たしかに遊びを創造する若々しい心の中から、未来を切り開く創意の数々が生まれるのであろう。
 私も、遊びをとおして伸びようとする新鮮な芽を、いささかなりともはぐくみたいと、幼い生命に隠された“宝”に向かって語りかける。むしろ質問を浴びせかけて、親しい友としての対話の渦に巻き込んでいくといったほうがよいかもしれない。
 緑の陰に憩うときには風雪に耐えて刻みゆく樹木の年輪を示し、道端の雑草に可憐な花を見つけるときには、踏まれても摘まれても、逞しく再生する生命の力を指摘し、共に畑を耕すときには働くことの尊さを語り、夜のとばりが下りて天空に星のきらめくときには、あの星の数よりも諸君の生命に秘められた宝のほうが数千万倍も多く、きらびやかだと語りかける。
 また、涼やかな虫の音に耳を洗いながら、東と西の歴史を飾った詩人や文人や音楽家の生涯に及ぶこともあれば、拙い即興の詩を口ずさんだりもする。富士の裾野にくっきりと浮かび上がった遠い街の灯に託して、人類平和のかがり火を守りぬこうと決意した革命家の実践を諄々と話すこともあった。
 とりたての芋に舌つづみをうち、子供たちと応答を交えているうちに、幼い瞳にともった希望の輝きが、ふくよかな夢を乗せて私の心に流れ込んでくる。私の話した内容がどれだけ理解できたかとなれば、それこそ千差万別であろうが、しかし、私の誠意と心の底にある情感が、この子たちの生命へと通いあったことだけは、私は自ら信ずることができるのである。そのような瞬間にもたらされる幸福感以上のものを、私はまだ味わった経験はなかった。たとえそれが偶然にせよ、私がこの子たちの父親の役割をたまたま果たしえたことから生まれたのであった。
 ともかく、父たることの責務を果たしうる充実感は、子をもつ父としてのなにものにも代えがたい“天”からの贈り物ではないだろうか。
 私は最近、子供にとって父親の存在がいかに大きいか気づきはじめたようである。むしろ多くの子供たちをとおして、貴重な贈り物が持ちきれないほど届いたような感謝の心さえ込み上げてくる。
 ところで、現代の父親のなかには、自ら父たることの権利を放棄している人、あるいは放棄せざるをえなくなった人も少なくない。家庭における父親不在が、家庭教育の“ネック”になっていると識者たちは力説しているが、私もそのとおりだと考える。
2  父親不在の教育に問題が
 先日も、調べものをするために書棚を整理していた。すると、一年ほどまえに、つい熱中しすぎて夜の白々と明けるまで読みとおした一冊の書物が目にとまった。著者は有名な精神科の医師・斎藤茂太博士である。ご存知のように、博士は大正・昭和の歌人、斎藤茂吉の長男である。
 一精神科医の鋭い感触が、病める現代社会を、この本の題名でもある“精神公害”(主婦と生活社)としてとらえていた。教育についても触れられていたのを思い出しながら、最初からページをめくっていると、興味深い事実が記されていた。サラリーマンの間に“出社拒否”という病気が増えているというのである。
 社会の荒波に耐えかねて、まったく無意識のうちに“病気への逃避”を図っているのだと博士は述べている。壮年の蒸発も増加しているが、たしかに社会も人間も弱々しく利己的になり、狂いはじめているのかもしれないと実感しつつ、学校教育の項まで進んでくると、いささかショッキングな言葉に出合った。それは「戦後教育が生んだ精神的奇形児たち」という言葉であった。 奇形児の代表格には、午前八時になると決まって頭痛がする──そんな症状をもった不思議な幼稚園児や小学生が増えている。だからといって、怖い教師がいるとか、成績がかんばしくないとか、いじめっ子がいるなどというのではない。ただ登校直前になると頭が痛みだす。そこで母親がきょうはお休みにしましょうと宣告すると、頭痛はスッと吹き払われる。こんな病気である。「登校拒否症」とでも名付ければよいのであろうが、博士は、一般に成績もよいし経済的にも恵まれてはいるが、ただ、父親不在で母親が過保護型の家庭に多いと結論されていた。
 母性愛が盲目的愛に陥っていることが理由の一つであろうが、それ以上に、父親の責任が問われるべき出来事だと感じた。母親の過保護というのも、父親の教育不在がもたらす場合がきわめて多いからである。むしろ母親の教育義務が過重となって、しかも父親が無責任であるというところに、現代の家庭教育の歪んだ一面があらわれてきているといえる。
 子供の健全な生命をはぐくむには、父親の役割は不可欠である。父親としての教育がなければ、どうしても子供の人格は一種の奇形児になってしまう。この教育における鉄則をあらためて認識したしだいである。
 父親が子供の教育に熱心であるとしても、子供の身の回りのすべての世話をやいたり、成績を伸ばすことのみに執心する父親であった場合には、教育ママが教育パパに代わっただけで、役割のうえでの父親喪失と言わざるをえない。子供はますます萎縮するにちがいない。
 逆に、母子家庭であっても、母親が一人二役の責務を見事に演じている場合もある。当然のことだが、子供たちはかえって、他の家庭よりも朗らかに強靱な意志を培っているのである。それは、母の生きる姿勢のなかに“母親”を感ずるとともに、“父親”を感じとっているからではないだろうか。
 家庭は家族の憩いの場であるとともに、教育の道場でもあるといってよい。母の愛に抱かれると同時に、父親からは人生を生きぬく知恵、社会の正邪を判断する目を学びながら、子供たちはそれぞれの個性豊かな人格を形づくっていく。
 母親がわが子の情緒、感情の側面を受け持つとすれば、父親としての役割は、社会とのパイプ役となり、人格形成における社会的側面を引き受けることであろう。たとえわが子と接する時間は少なくても、政治を語り、経済の動向を教え、日々の出来事に対する評価を加える言動から、子供たちは知らずしらずのうちに、外なる世界を見る目と好奇心を養っていく。以前、駐日イギリス大使と対話したとき、大使は幼い子供に対してでも、毎日、世界情勢を話して聞かせると述べておられた。子供を一個の人格と認め、その目を大きく世界に開かせていくという父親の教育のあり方として、私は大いに共鳴を感じたのであった。
 ある心理学者の統計によれば、子供たちは母親には言葉遣いとかマナーを要求するのに対して、父親に対しては、進学のこと、教師のこと、授業の内容のこと、それから政治、経済、文化の動き、人生観や世界観などについて対話したいと願っているとあった。子供の願いはまことに的を射ているようである。
 学校教育を受けて、子供たちは種々の知識を学んでいく。最新の情報も入っているかもしれない。しかし、理論的に学習する知識は、まだ、子供の頭に詰め込まれているだけで、血肉化した知恵にまでは消化しきれていないのである。知識を生活、人生の知恵にと転化することこそ、家庭教育の重要な課題の一つである。
 父親は、豊富な人生経験をもとに、子供の知識をくみあげながら、社会観、人生観、教育観、人間らしい生き方などを教えることができる。子供たちは、父親との生命交流を通じて、初めて学校教育で獲得した知識を総合し、血となし肉となす方途を学びうるのである。
 出張がつづいて子供と顔を合わせる機会が少ない父親であっても、出張先から、その土地の話題を織りこんだ絵ハガキとか手紙を出すこともできる。仕事の内容でも、子供たちにもわかるように記しておくなり、電話をかけたりすれば、人びとのために尽くす父親への信頼と誇りが、彼らの生命の奥からわきおこってくるにちがいない。問題は、子供のなかに“父親”がいるかいないかであると認識してほしいのである。
 あらゆる機会をとらえて、子供たちとの賢明な接触を心がけるところから、父親による教育の成果が、しだいに実を結んでいくのではないだろうか。
3  子供に父親が必要な時期
 子供たちは、この世に生をうけて以来、二歳から三歳ごろまでは、情念の世界に生きている。母親への絶対的な信頼感を機軸に、他の人びとと社会への「信」を養っていく。
 ところが、三歳を過ぎると自律性を増し、自我の形成が始まる。自分で考え、自分を主張し、自主的に行動しようと意欲を燃やしてくる。つまり、創造性を養う時期が始まるともいえよう。
 父親の役割が重要になってくるのも、この時期からだと思われる。創造的な精神の基盤ができあがるのがほぼ十歳ごろだから、三歳から十歳までの間に、父親によるいかなる教育が行われたかによって、子供たちの未来が決定されるといっても過言ではない。もしまったくの父親不在であるならば、子供たちは社会の海原に乗り出すための知恵も、勇気も、強い意志も形成することは望めないであろう。
 三歳を過ぎると、子供のほうから父親を求めてくる。父親とともにいたいという願望は、生命本然のものだと考える。
 むろん、フロイトなどが力説するように、父と息子の葛藤が起きるのも事実であろう。しかし、子の親への反発は、むしろ自我のいちじるしい形成のもたらすものであり、母のふところから脱皮し、自律的な一個の人間への第一歩であるとして喜ぶべき現象ではないだろうか。
 私は、自己を強烈に主張し、やんちゃで手に負えない子供ほど、創造性に富んだ、個性豊かな、そして、逞しい生命力と意志をもった人間になる可能性をはらんでいると思う。
 自我の主張は、決して両親への単純な反発ではない。自律性、自己主張の底には、必ず、父親を尊敬し信頼しつつ、自らも父と同じような、強くて勇気ある人間になりたいという、心の奥からのうずきが横たわっているはずである。子供たちの生命の奥にふつふつとしてわきあがってくる無意識のうずきを賢明にくみあげて、正義感にあふれ、生命力豊かな人間に育てたいものである。
 そのためには、父親自身の生き方が問題であろう。「出社拒否」もしくは、それに近い利己的な人生を歩む父親には、その真実の姿を見抜いたときの子供の失望も大きく、反発心ばかりが助長されて、精神的な奇形児へと陥っていくかもしれない。
 子供の、父を求め父の像に期待する一念が深ければ深いほど、心が傷つけられたときの精神的外傷も、一生ぬぐいきれないほどの深手となるであろう。
 だからといって、子供の期待する父親像は、深淵な知識の権化でもなければ、社会的地位、名声、職業、学歴などにまつわるものでもない。父親の生き方それ自体だと思うのである。
 人それぞれによって、生き方にも違いがあるだろうが、その人なりの信念を貫き、確固とした人生観、社会観、教育観を確立して、全力をあげて社会に貢献しようとする姿勢自体が、子供の生命に鮮明な父親像として焼き付いていくのである。
 知識はさまざまな機会をとおして、子供はちゃんと得ていく。だが、知識を総合し、いかに生きるかの手本は、父親でなければならない。どのような職業であろうと、仕事に打ち込む真摯な姿と、そこからにじみでる知恵の数々は、子供たちの畏敬の的とさえなりうるのである。いかなる種類のものであれ、隣人と地域と、ひいては人類生存のために尽くす父親の行動は、幼き生命の誇りとなり、社会悪を見抜くその正義の洞察眼は、父親の素晴らしさを深くその心に刻み付けるにちがいない。
 やがて子供たちが成長して、もし父親のいだく信念、人生観、世界観に同意できないと感じたとしても、父親への感謝と尊敬の気持ちは微動だにしないであろう。
 父とは異なった道を歩みつつも、内から発する敬意の心は、ますます父の姿へと傾いていくはずである。そして、人類の平和のため、他の人びとの幸福を築くために戦いぬき、生きぬこうとする父親の生命の奥の“一念”だけは、生涯を貫いて子供たちの心の底に、永遠の灯として受け継がれていくであろう。
 間違っても、自ら成し遂げられなかった野心を、子供に強制してはならないと思う。それは伸びゆく創造の芽を摘み取り、父親の尊厳を自ら剥奪するにも等しい行為だからである。
 強い意志、生命の力、勇気、信念等のすべての人間の特質は、つまるところ、人類全体の平和と、正義と幸福を守ろうとする一念に集約されていく。ゆえに、それらの特質を受け継がせることが父親としての責務であり、それはそのまま教育の目標であり、わが子に残す最大の遺産であると、私は訴えたい。

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