Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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自立した主婦像を目指して  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

前後
4  価値創造の生活を
 一人三役という言葉がある。女性として、妻として、母として、仕事、家事、教育を受けもつ苦労を表現したものであろうが、私はこの言葉はあまり好きではない。人間、自らの向上を望み、完成をめざすならば、困難にあえて立ち向かう姿勢が不可欠であろう。家庭のなかの人として、あるいは社会人として、また一個の人間として、さらには仕事を幾つももちながらその責務を、莞爾として果たしている人も多くいる。というより一人三役、四役を果たすことは、誰にとっても当然のことであるといってもよい。それぐらいの姿勢を貫いてこそ、人間の成長はあるのであろう。安易に流され、自らの可能性を摘み取ってしまうことほど愚かなことはない。
 そしてこの苦労を実らせるものは、知恵である。苦労をあえて求めるといっても、現実には目の回るような忙しさに追われることもあろう。仕事を終えて帰ってきて、大あわてで食事の用意をしなければならない。子供の面倒もみなければならないし、隣近所との付き合いもある。いきおい、食事はインスタントなものや、有りあわせですませてしまう──というようなことがあれば、いつのまにか惰性に流されているのである。というより、あまりにも知恵のない姿であるといえるのではないか。
 保存のきくものを前夜に用意しておいたり、インスタントなものであっても工夫を加えることによって栄養や体裁もカバーできよう。子供や夫とのコミュニケーションも、一葉の心温まるメモが百万言よりも力を発揮する場合があることを忘れまい。知恵の働かせ方によって、生活はいくらでも価値創造できるはずである。
5  開かれた社会へ
 仕事に対しても、たんに家計の足しにするという考えであっては、悪循環に陥るのみである。私は「稼ぐ」という言葉はきらいである。仕事をとおして自己を向上させ、なんらかの貢献を社会に果たしている実感をもっていただきたいのである。
 それは仕事の性質だけではない。仕事に対する姿勢も含まれるのである。その人の存在が人びとの心に希望の灯をともさせるようであれば、それだけでどれほどの価値を生んでいることか。
 まして、職場にあって、少しでも社会に貢献していることを実感しつつ、またそれを念頭におきつつ取り組んでいくならば、そのことがやがては女性の真実の解放につながることを私は信じている。
 働く女性がめざめて自我を拡大していくならば、たんに女性の問題だけではなく、それ自体、大衆の大きなレベルアップとなることは疑いない。ある意味では、女性が職をもつということは、男性以上に人間形成に革命をもたらすといえよう。大変だ、というのでなく、絶好の機会だととらえてほしいのである。
 閉じられた社会に引きこもるのでなく、大きく外界に飛躍する女性群像が見られるとき、おのずから家庭における教育の質の転換が行われるであろう。夫と子供しか念頭になく、教育も知識偏重の教育ママがハバをきかす現状は、子供のためにもよくないと私は思っている。
 社会とのつながりをもち、目を世界に向け、人生の根源に向けながら、現実生活の労務を賢明に作業していく女性が社会を構成していくならば、素晴らしい時代が開かれていくにちがいない。このような親に育てられる子供たちの未来を想像し、社会を予想しただけで、私の胸はふくらんでくるのである。

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