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日蓮大聖人・池田大作

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溺愛と躾と社会と  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

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3  子供のためにも世界の平和を願う
 躾という日本独特の言葉は、母親の裁縫から生まれました。着物を縫うとき、その縫目が整然と見事にそろうために、あらかじめ布に仕付け糸をかけ、布の移動を押さえておいてから、本番の縫い糸で縫うことです。本番の取り返しのつかない人生のために、早ばやと幼児に仕付け糸をかけることは、その子にとっての人生を尊く大切に思う親のまごころではないでしょうか。
 躾の効果というものは、目前のことのためではありません。やがてきたるべき本番に備えてのことなのであります。現在に執着する人は躾を怠ります。そして、やがて本番に立った子供の不始末に泣かねばなりません。人生は揺籃から墓場へと通じているのです。よき芽が大木と育つように、幼児という人間の発芽期の芽をどんなに慈しみ大切にしても、しすぎるということはありません。雑草を抜き、肥料を与え、添え木をおくという細心な躾こそ、未来を担う立派な社会人を生む源泉でありましょう。
 しかしながら、いつか時代は幼児にとっても生きがたい環境となってしまいました。牛乳やミルクには毒をふくんでおり、都会の空気は幼い肺を侵食しています。一人で歩けるようになっても、うっかり道路には出られません。いつ交通地獄の犠牲にならないともかぎりません。
 家庭事情から、一人で留守番することも強いられます。テレビなどの情報公害にも曝されなければならず、幼い体と魂は、このような環境で育たなくてはならなくなりました。体調は狂い、肥満児や虚弱児の比率は年々増大し、大人並みの神経病にかかる子供も多いと聞いています。これらの子供を守るためには、親たちは躾のほかに、社会的にも精いっぱいの努力を今後ますますしなければならないと、覚悟を新たにしなければなりません。
 このような心痛む幼児の周辺を見るにつけ、それでもなお今の幼児は幸せだとするたった一つのことがあります。──わが国の幼児は、戦後二十八年間、戦争の害毒をまったく知らずに過ごすことができました。
 戦前から戦後にかけての数年の幼児にみられた栄養失調と餓死からは免れております。戦争で両親を失うような孤児はまったく見当たりません。上野の地下道あたりでよく見かけた、よちよち歩きをやっと脱けたくらいの幼児が、痩せさらばえて額には皺が寄り、まるで七十歳の老人のような表情でじっとしている、あの悲惨さは後を断ちました。幸いなことです。親と子が平和のなかに、たとえ危うい平和であったとしても、暮らすことのできるありがたさは貴重なものと思わなければなりません。世界の恒久平和の樹立こそ、幼児のためにもなさねばならぬ大人の責務です。 それにつけても、ベトナム戦争の報道写真の数々に、私たちは心を痛めました。──戦場の一隅で死んだ親にとりすがる幼児たち。家族と離れて見失ったのか、小さい子供が背に幼児を負って、とぼとぼと街道を歩いていく情景。どの子供もひどく痩せています。うつろな眼を空に向けている戦災孤児たちの群れ。幼児の体ですでに戦傷をうけて身体障害者になってしまった多くの子供。戦争の爪痕が彼らの一生に刻印されてしまったことを思うとき、戦争の悲惨さは、戦争絶滅の悲願へと向かわざるをえません。
 バングラデシュの戦争もまた例外ではありません。乳の出なくなった母親の乳房を吸う幼児たちの口。餓死に迫られた数百万人のなかで、ひよわな幼児たちは、その最大の犠牲者として真っ先に死んでいかねばなりません。人類の社会は、月に到達する知恵をもちましたが、このような卑近の悲惨さを放置しているのです。
 このように幼児の周辺はまだまだ油断のならない状況にあります。躾とともに、幼児のためには社会との戦いを避けてはならないと、私は心ある人びとに訴えたいのです。

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