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日蓮大聖人・池田大作

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万葉の心――激動期に歌い上げたい“庶民…  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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1  防人の歌、東歌が、とくに私は好きだ。“よみ人知らず”の多くの庶民の歌があるからである。そこに流れゆく、切々たる人間性の昇華を、感動なしには受け止められない。人間を歌い、自然を歌い、生活に融合しての叙情は、率直であり、切実であり、生命の躍動が輝いている。
 『万葉集』という名称は――「万の言の葉の集」「万世に伝わるべき集」という意味だそうである。その結集は、西暦七六〇年ごろのようだ。『古今和歌集』は、西暦九〇五年である。『古今集』には一口に言って、観念の心、貴族の心が匂っている。
 『万葉集』のなかにも、柿本人麻呂、大伴家持、山部赤人、山上憶良のように、指導階層の人々もいた。しかし、これら第一級の歌人も、安穏とした境遇で詩歌を詠んでいたのではないようだ。その時代背景には――壬申の乱、橘奈良麻呂の変という激動があったことを忘れてはなるまい。言わば、流血の内乱、クーデターの相次ぐ激動期に戦っていたのである。
 そのなかで、人間性を歌いあげたということに私は、注目したい。
 現代は――科学技術文明が、急速に進んでいるし、自然も破壊されていく。悠長に歌など詠めぬと政治家も経済人も言うであろう。しかし、政治も、経済も、科学も、人間のためのものであるとするならば――さらに人間に帰結すべきものであるならば、人間性そのものを、いつの時代に移り変わっても、決して忘却してよいとはいえまい。今の為政者が、権力と金力の心を遠ざけて、庶民の“心”を歌い、庶民の味方の“歌”を詠んでいくならば、どれほど見事な社会が開けようか。
 「源遠ければ、流れ長し」という言葉がある。いくら選挙めあての美辞麗句を叫んでも、生命よりあふれる、詩歌の境涯がなければ、いつまでたっても、公害ヘドロの悪循環を繰り返す以外にないだろう。
  防人に
    行くは誰が背と
      問ふ人を
    見るが羨しさ
      物思もせず
 “よみ人知らず”の代表作である。愛する夫が、戦地に征くのを、歌った妻の作であろう。愛別離苦である。その苦悩、淋しさは、他人は考えてくれない。
 だれのご主人がいずこへ立っていくのであろうか――との薄情さが、感じられるような気がしてならない。まったく今日の為政者と同じように。

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