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日蓮大聖人・池田大作

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人生にやり直しはきかない  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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1  入学おめでとう。
 高校生活という、新しい、人生の舞台に足を踏み入れた、諸君たちの希望にあふれた、笑顔が私の瞼にまざまざと浮かんでくるようだ。
 高校時代は、人間の一生のなかで、最も感受性の鋭い、振幅の激しい時代であろう。あるときは、喜びの絶頂にいたかと思うと、ちょっとしたことで、失意と絶望の、どん底に落ち込んだりするものだ。
 それは、人生への、あらゆる可能性を秘めて、精神的な激動を繰り返しつつ、しだいに自分というものを見いだし、形づくっていく、自己の建設期であるともいえよう。それだけに、高校時代ほど大事な時はないと思う。
 しかも、二度と、やり直しのきかぬところに、人生の厳しさがある。どちらかといえば甘やかされてきた小・中学時代と違って、もう高校生といえば、半ば大人として扱われる。そうした、人生の厳しさというものを、自身で取り組む準備をするのも、高校時代の大切な勉強である。
 今、諸君たちは、高校生活のスタート台に立って、あれもしたい、これもしたい、と胸をふくらませていることだろう。理想をもち、夢を描くことは、青年として最も大切なことである。言わば、それは青年の特権であり、理想を失い、夢をもたぬ人生は、もはや青年とはいえまい。
 だが、この夢を実現し、理想を達成するために、最も大事なことは、自己との厳しい対決に勝っていくことである。
 つまり、自分が今やらねばならぬことに、全能力、全情熱を傾けていくことこそ、未来に生きる人生の、真実偉大な姿なのである。
 今、深い、谷間を流れている目立たぬ水も、やがて滔々たる大河となり、広大な海へと開けていこう。また、根を深く張れば張るほど、大木は、天高く育っていくであろう。
 うわべだけのカッコよさなど、問題ではない。今、スポットライトなど浴びる必要もない。諸君たちに、今、必要なことは、真実ありのままの人間としての力を養うこと、幅広く知識を吸収し、深い英知を開発していくこと、生命の尊厳にめざめ、平和を守り抜いていく信念と責任感を涵養することだ。
 また、悩み多き青春時代は、はたから見れば、ほんの些細な問題を、一人で拡大鏡にかけて、悶々としている場合が多い。だが、考えてみれば、悩むということは、若人の特質であり、青年であれば、だれだって、大なり小なり、悩みをもっているものだ。
 諸君の先輩だって、皆、かつては、そうした悩みをかかえ、乗り越えてきたわけだ。決して自分だけに悩みがあるのでもなく、自分の悩みが、世界最大の悩みであるわけでもない。そんなときは、臆せず、先輩なり、友人なりに相談してみることだ。そのためにも、よき先輩、よき友だちをもつことが大切であろう。
 西欧のある哲人の言葉に「青春という辞書には、失敗という言葉はない」というのがある。
 青春時代は、悩むことも多いし、実際に大きい失敗をする場合もあるかもしれぬ。しかし、長い生涯からみれば、それは決して失敗ではない。むしろ、それらの一つ一つが貴重な人生経験であり、尊い生涯の教訓ともなろう。
 一度や二度の失敗はだれにだってある。要はそれによって、自身に対し、社会に対し失望せず、つねにそのなかから、勇気を奮い起こし、逞しく立ち上がっていくことである。
 失敗を恐れていては、何もできない。過去に名を成したいかなる人も、失敗につぐ失敗の人生であったといってもよい人がほとんどである。ただ、彼らは、そのたびに不屈の闘魂を燃やして立ち上がり、最後の勝利を飾ったのだ。
 青春時代の本当の失敗は、むしろ、そうした苦闘を避け、目的もなく、無気力に過ごすことにこそある。苦闘したうえでの失敗は、人生の宝ではないだろうか。どうか、失敗を恐れることなく、雄々しく、逞しく青春を生き抜いていただきたい。
 若い、ということは、素晴らしいことだ。何千億の金を積もうと、青春を買い戻すことは絶対にできない。若いというだけで「自分は世界一の幸せ者だ」と思ってよい。地位でもない。名誉でもない。財産でもない。他の何ものによっても贖うことのできぬものは、ただ、若さだけなのだ。
 この素晴らしい青春を、思う存分乱舞したまえ。心身ともに、思う存分鍛えたまえ。そして、真っ白いキャンバスに、素晴らしき高校時代の想い出を描きたまえ。新入生諸君たち全員が、三年間終わったとき「わが高校時代に悔いなし」と言いきって、卒業していくことを私は心から祈っている。

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