Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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史観について  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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3  では新しい歴史観はどこに求められるのだろうか。これはたんに歴史哲学などという学問の一分野の問題ではない。広く人類の存在全体にかかわりをもつ大きな課題であると思う。ただ私なりの考えの一端を述べると、仏教の史観は、すでに三千年も前に、この問題に対する明確な解答をもっていたように思われてならない。
 ある経文には「如来は如実に三界の相を知見せり」とあるが、その三界とは欲界、色界、無色界をいう。無色界とは思想、理念、精神を意味する。キリスト教の“神の摂理”やヘーゲルの“精神”を包含する概念である。色界とは物質であって、唯物史観が説く“生産力と生産関係”などはここに含まれてしまう。そして欲界とは人間の欲望であり、富に対する欲望、権力欲、探究精神、美へのあこがれ、などといった人間的要素を包含している。
 この欲、色、無色のさまざまな要素がからみあって、歴史の発展模様を織り成しているというのが仏法の見方である。とすれば、過去の史観はすべて仏法の英知に包み込まれている、といって過言ではなかろう。
 このほか、具体的発展の図式を示すものとして、時応機法ということも説かれている。時とは時代、応とは仏法では民衆を化導する仏をさすが、広い意味では具体的には指導者といえまいか。機とは社会民衆の願いであり、社会民衆の世論である。法とはこの民衆の要望に応えうる思想や政策ということができる。この時応機法の条件がそろったときに、社会の変革、歴史の発展が実現される、との原理である。
 仏教では釈尊滅後の仏法流布の状況を予言した三時の弘教や五五百歳の説などがあり、いずれも見事な適合を実証している。それは仏教のもつ歴史観の卓越性を事実のうえに示したものとも考えられる。
 なかんずく、生命の尊厳に規範をもつ仏法史観は、人間不在の歴史と嘆かれている現代の歴史観からの脱却にあたって、最も重要な意義をもつはずである。人間の歴史の輝かしい未来の建設のために、東洋の英知の真髄を根底とした「人間史観」ともいうべき、新しい史観の樹立を念願してやまない。

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