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日蓮大聖人・池田大作

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日本は“公害実験国”か!  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

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11  さらに、これは、早急にできる問題ではないが、学問のあり方についても、大きい変革が行われなければならない。これまでの西欧の学問は、事象を既成の知識に分析し、そこにとりだされたものを、その事象の本源としてきた。その過程において、そうでないと考えられるものは、どしどし切り捨てられる。そして、本源とされるものについて、これを人工的につくりだしたり、または、人為的に強化することをめざして、種々の技術や産業が発達してきたのであった。
 ところが、生命現象の場合は、生命のあらゆる要素が複雑にからみあって一つの有機的な体系をつくり、活動を行っている。本源的でないと思われたものも、実は、それなりに不可欠の役目をもって、その生命体の維持に参画しているのである。そうした生命事象の特質を無視して、単純な要素に分解し、捨象していくということは、たいへんな誤りを犯す結果になってしまう。
 その意味で、これからの学問の方向として考えなければならないのは、総合的な把握ということではないだろうか。そして、個々の要素に分断し抽出するのでなく――もちろんその面も必要であろうが――それらの要素がどう関係しあっているか、そして全体としてどのように調和しているかという観点から、全体的に迫っていく行き方を確立することである。
 科学は、公害をいかに解決するかという問題に重大な責任をもっているし、より以上に、公害を生まない科学技術文明の建設をめざしていくことが要請されよう。さらに、自然が本来もっている浄化力、生産力を高めていくにはどうすればよいかという点にも、科学は新しい分野を開拓すべきである。と同時に、人間の生命力を豊かにしていく方向も模索すべきである。
 この人間と自然の本来的な力を調和し、総合し、高めていく、いわば“人間自然学”ともいうべき学問体系の確立を、提案したい。そのためにも、総合的把握の方法は、かならずや不可欠の問題となってくると思う。
 また、科学者は、科学の成果が技術化される場面において、それによって生ずる弊害を明らかにし、この弊害を防止するための処置が行われているかどうかを厳しく監視すべきである。そして、そのような科学者の警告発言に対して、政府、自治体の行政機関も、率直に耳を傾け、もし、これに従っていない企業があれば、強力に指導あるいは規制するといったシステムが確立されなければならない。
12  なお、公害の問題に関連して、ひとこと、所感を付け加えさせていただくと、現在のところ“公害”で最も関心の的になっているのは物理化学的なものであるが、やがて近い将来には、コンピューターなどによる、精神的な障害、束縛も、新しい“公害”を生みだしていくにちがいない。それらがおよぼす影響は、人間精神のマヒと不具化であり、肉体にかかわる“公害”よりも、はるかに深刻で恐るべきものとなろう。人間の思考や感情を自由に操る、史上かつてない独裁政治を現出してしまうかもしれない。しかも、それは、科学文明の発達という美名に隠れて、民衆からは、盛大な歓迎をうけながら、いつのまにか絶対的な権力を握っているということになるだろう。
 これを見破り、食い止めるためには、肉体的な側面だけでなく、精神的な側面からも、人間の健全なあり方とはどのようなことかを考え直し、一つの技術開発が、この人間存在に対してどういう意味をもつかを思索していかねばなるまい。そして、危険なものを感じたら、決して黙っていてはならない。
 ともあれ、こうしたあらゆる脅威から、肉体と精神の健康と安全を守るためには、われわれ一人一人が“目覚めたる人間”として、その力を合わせて戦い、人間の尊厳を確立していかなければなるまい。目前の利害や、イデオロギーや、立場の相違を超えて――。

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