Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

老人問題・龍のこと 井上 靖  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

前後
6  昨年九月に中国を訪ねました折、南京の紫金山天文台で、簡儀という名で呼ばれている天球儀を見ました。天球儀というのは星の位置を探る機械ですが、中国では二〇〇〇年前に初めて造られ、それを元時代に郭守敬かくしゅけいという天文学者が改良し、二人の人間が同時に同じ星を観測できるものにしました。それが簡儀であります。三個の銅製の車輪を組合せ、それにやたらに鎖の纏いついた、爬虫類の骨格のような奇妙な形をしたもので、骨格にはどれも飾りの銅製の龍が巻きついておりました。私は簡儀を見た瞬間、その頗る複雑異形な天体観測の機具に強い魅力を覚えました。天体の星の位置を探る精妙な機械に、想像上の動物である龍が巻きついていたからであります。
 私が天文台を訪れたのは、もちろん昼間でしたが、もし夜そこを訪れ、上に星が一面にちりばめられてある夜空が拡っていたとしたら、その時は龍は口から火焔を吐いているのではないかと思いました。もちろん、これは私の詩的な空想に過ぎません。しかし、天体の神秘を探るのに、中国の天文学者が龍の力を借りて、その応援を得て、それを為そうとしている、そういう簡儀設計上の構想は、なかなか棄て難い、心憎いものだと思いました。四十八回目の誕生日を迎えられる池田さんのお仕事もまた、その傍で火焔を吐いて天を窺っている龍に守られていることでありましょう。
 お手紙の中に山西省の″龍門″のことが出て参りますが、今年の五月の中国旅行の折、私もまた″龍門″の名を冠した洛陽郊外の龍門石窟を訪ねております。
 私が訪ねた龍門の方は、伊水の流れを挟んで、両岸の岩山にたくさんの石窟が営まれておりました。石窟は、いずれも北魏の洛陽遷都から唐の玄宗の時代まで、五世紀末から八世紀中葉まで、二百五、六十年間に開削かいさくされたもので、記録に依れば一三五二の洞窟、七五〇のがん、三九の石塔といった規模雄大なものであります。今はその何分の一かを見ることができるだけでありますが、これらの龕や窟が供養のために寄進されたものであることを思うと、今更のように信仰の力の大きさというものに思いを致さざるを得ませんでした。往古の人々は仏像の安置する大小の館を刻む場所を、龍が誕生する烈しく美しい流れの畔りに選んだのでありましょうか。
 向寒の硼り、御自愛専一の程祈り上げて、ペンをおきます。
 一九七五年十一月二十三日

1
6