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日蓮大聖人・池田大作

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人生の年輪・トルストイの顔 池田大作  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

前後
6  一人の老婦人のことから、トルストイの顔にまで、つい話が及んでしまいました。彼女の顔は、もちろん、トルストイの場合のように、多くの人々の記憶に留められることはあり得ません。しかし、私は無名の一庶民の顔にされた、その愛情に充ちた優しさ、深い凝視、誠実な眼差し、労苦を超えた安らぎを見る時、いつも胸奥から噴き上げてくるような感動の念を抑えることができないのです。
 最近の御著書『わが一期一会』は、「毎日新聞」の日曜版に連載中に、あらかたは読ませて戴いておりましたが、今度、単行本(毎日新聞社刊)に纏められたのを、あらためて読み返させて戴きました。どの随想も、井上さんの″一期一会″の御経験を綴られた、味わい深いものでしたが、ことに″一座建立こんりゅう″という章節は興味ぶかいものがありました。この言葉が最近好きになっている、とお書きになっていますが、私も良い言葉であると思います。
 一座建立の精神というのは、お茶にしろ、連句にしろ、その一座に居合わせたものが、互いに相手を尊敬し、心を合わせ、何刻かの心などんだ高い時間を共有しようという気持があって、初めてその世界の楽しさ、純粋さ、高さを生み出すことができるものである、と述べておられます。さらに、それは大変、密度の濃い、次元の高い芸術世界ではあるが、もっと広く、この現実生活のなかにも、一座建立によって造り上げられなければならぬものが、たくさんあるはずだとも書かれています。
 私はこれまで実に多くの人々との触れ合いの機会を持つことができました。井上さんの、甚だわが意を得たお言葉を、勝手に用いさせて戴くならば、私はそれらの人と人との触れ合いのどの一つも、私にとって″一期一会″ならざるものはないと覚悟しております。それ故に、つねにそれは、そこに居合わせたものの生命と生命との深い交流から生み出される″一座建立″でありたいと念じています。そうした出会いの機会を、生涯にわたって、数多く持つことができるのは、私のひそかに誇りとしているところであります。
7  今回もまた、大変、我田引水の話を書きつらねてしまいました。本当は、前回のお手紙のなかにお認め戴いた、井上さん御自身が癌の恐怖へ直面し、向かいあわれた体験についての所感から書き始めるつもりでおりましたが、考えてみれば、これはもうそれだけで他人の口の容ることを許さない厳粛な内容のものです。何か感想を書こうとしても、すべてそれは無駄言であると思うようになりました。しかし、そこに書かれた事柄は、それを読んだ多くの人に勇気を与えるものであり、かつまた、それ自体、『化石』という作品の最良の解説であり、さらに井上文学を理解する一つの鍵であると考えられます。
 今はただ、私の身勝手でわがままな願いに応じて、このような内面の秘奥に属することをお洩らし戴いたことにつき、深い感謝の念を表明するばかりです。
8  ここまで霧島の研修道場で認めたあと、今日、東京に帰って参りました。そして深夜、アーノルド・トインビー博士の訃報に接しました。今世紀の最も偉大な文明史家であり、東西文明融合の英知の人であった――と最早、過去形で表現しなければならないことは、私にとって大いなる悲しみですが――トインビー博士の死去は、まさに″巨星墜つ″の感深いものがあります。とりわけお手紙のなかでお触れ戴いた『二十一世紀への対話』を、博士とともに親しく語り合った時の様子が、つい昨日のことのように懐かしく思い起され、まさしくそれも″一期一会″であったのだと思われてなりません。
 一九七五年十月二十二日

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