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日蓮大聖人・池田大作

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千利休・秋水・『化石』の頃 井上 靖  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

前後
6  私は、自分が一度癌に罹っているのではないかという疑いを持ったことは、自分の一生での一つの事件であったと思います。そのお蔭で、私も多少死の問題を、従ってまた生の問題を考えるようになりました。『化石』を書いてから五年ほど経ちまして、生死の問題を別の角度から取り扱った『星と祭』という小説を書いておりますが、これなども、『化石』を書かなかったら生れなかった作品であろうかと思います。
 しかし、今や私は癌の疑いを持とうと、持つまいと、いつでも遠くに、時には近くに、死の海面を望み得る年齢に達しております。十七年前に、父を亡いました時、私は初めて遠くに自分の死の海面を見ました。それまでは自分の死のことなど念頭に浮かべたことはなかったのですが、父に亡くなられて初めて、次は自分の番だという思いに突き当りました。謂ってみれば、父は生きている、ただそれだけのことで、息子の私に死を考えさせないでいてくれたのであります。父は一枚の屏風となって、死と私の間に立ちはだかっていてくれたのであります。父に亡くなられて、初めて、私は自分の死の海面を遠くに望みました。それが死の海面を望んだ最初であります。
 それから何年か経って、癌の疑いを持った時期に、先きに申しましたように、時折、死の海面と付合いました。そして更に何年か経った今は、風景の一部のように、いつも死の海面は、さほど遠くないところに静かに置かれております。
 ある時、尊敬している先輩の文学者から、あなたも、そろそろ死ぬ準備をするんだね、と言われたことがあります。考えてみますと、その時からすでに何年も経っておりますので、現在はまさにそのような人生の大切な時期にいるのでありましょう。死の準備、そうしたことを心掛けられるかどうか判りませんが、そのようにつとめたいとは思っております。
7  たいへん自分本位の、自分のことばかり申し上げたお手紙を認めてしまいました。自分の作品である『化石』を、自分で解説したような結果になり、しかも読み返してみますと、不備な点がたくさん眼につきますが、いっそ、このままで御判読頂くことにいたしましょう。
 初めての秋らしい夜でございます。御健勝の程を念じつつ筆をおきます。
 一九七五年九月二十三日

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