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千利休・秋水・『化石』の頃 井上 靖  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

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5  言うまでもないことですが、私がもし本当に癌に罹っており、それを手術に依って癒したというような経験を持っておりましたら、私の死という同伴者との対話は、自らの小説の中のものとは異ったものになっていたであろうと思います。『化石』において、主人公の一鬼は自分に迫って来る死という運命と、正面から闘おうと決心していますが、それは作者の私自身が、自分に迫って来つつあるかも知れない暗い運命に対してとっていた姿勢に他ありません。もし、あの場合、私が本当に癌に罹り、癌患者として、実際に死に立ち対かった経験を持った上での執筆でありましたら、私は一鬼をして、自分の持つ暗い運命に対して宣戦布告するような態度をとらせたかどうか、甚だ疑問に思います。
 もちろん、私は『化石』における主人公一鬼の死への対かい方が真実の姿でないとは申しません。一鬼のような開き直り方をする人もあるに違いありませんし、私自身、本当に癌に罹っていたとしても、一鬼的開き直り方をしたかも判りません。ただ、『化石』執筆後十年の、現在の私の死というものに対する考え方から申しますと、小説の中で一鬼は最後に死から解放されるからいいようなものの、もしそうでなかったら、一鬼のような死への対かい方では、癌と闘い、癌に敗れる以外仕方ないではないかという思いを持たざるを得ません。
 現在の私が『化石』を書きますなら、もう一度一鬼の心境を屈折させ、もう少し自分の持っている運命というものを素直に見詰めさせるのではないかと思います。自分が書いた小説の主人公の、死から解放されてからの生き方を予想するのは奇妙なことでありますが、おそらく一鬼は、小説が終ったところから、それまでとは別の、もっと素直な死への対かい方をして行くのではないかと考えます。作者の私自身が、自分で考えて、そのようになっていると思いますので、作者の分身である一鬼もまた、そうならざるを得ないことでありましょう。
 それはともかくといたしまして、一鬼は死の同伴者を得てから、池田さんにお触れ頂きましたように″ふしぎなぴいんと張った暗い、しかし透明な時間″を生き始めます。死が眼の前に迫っているかも知れないと思い始めてから、私の周囲を流れ出した時間に文学的表現を与えるとなると、私の場合は、さしずめこういうことになります。まだほかに、もっと適当な言い方はあると思いますが、死という同伴者との対話を成立させる特殊な時間の構造を説明することは、たいへん難しいことであります。おそらく死という同伴者との対話の内容が深まるにつれ、もっと異った構造のものになる性質のものではないかと思います。幸徳秋水が獄中で持った時間は、静かで、やわらかく、そしてその中を、刃のような鋭くきびしいものが走っているのが感じられます。
6  私は、自分が一度癌に罹っているのではないかという疑いを持ったことは、自分の一生での一つの事件であったと思います。そのお蔭で、私も多少死の問題を、従ってまた生の問題を考えるようになりました。『化石』を書いてから五年ほど経ちまして、生死の問題を別の角度から取り扱った『星と祭』という小説を書いておりますが、これなども、『化石』を書かなかったら生れなかった作品であろうかと思います。
 しかし、今や私は癌の疑いを持とうと、持つまいと、いつでも遠くに、時には近くに、死の海面を望み得る年齢に達しております。十七年前に、父を亡いました時、私は初めて遠くに自分の死の海面を見ました。それまでは自分の死のことなど念頭に浮かべたことはなかったのですが、父に亡くなられて初めて、次は自分の番だという思いに突き当りました。謂ってみれば、父は生きている、ただそれだけのことで、息子の私に死を考えさせないでいてくれたのであります。父は一枚の屏風となって、死と私の間に立ちはだかっていてくれたのであります。父に亡くなられて、初めて、私は自分の死の海面を遠くに望みました。それが死の海面を望んだ最初であります。
 それから何年か経って、癌の疑いを持った時期に、先きに申しましたように、時折、死の海面と付合いました。そして更に何年か経った今は、風景の一部のように、いつも死の海面は、さほど遠くないところに静かに置かれております。
 ある時、尊敬している先輩の文学者から、あなたも、そろそろ死ぬ準備をするんだね、と言われたことがあります。考えてみますと、その時からすでに何年も経っておりますので、現在はまさにそのような人生の大切な時期にいるのでありましょう。死の準備、そうしたことを心掛けられるかどうか判りませんが、そのようにつとめたいとは思っております。
7  たいへん自分本位の、自分のことばかり申し上げたお手紙を認めてしまいました。自分の作品である『化石』を、自分で解説したような結果になり、しかも読み返してみますと、不備な点がたくさん眼につきますが、いっそ、このままで御判読頂くことにいたしましょう。
 初めての秋らしい夜でございます。御健勝の程を念じつつ筆をおきます。
 一九七五年九月二十三日

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