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日蓮大聖人・池田大作

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「アロハ」の精神と世界市民 池田大作  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

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4  実はハワイは私にとって忘れ得ぬ、懐かしい思い出の地であります。十五年前の昭和三十五年秋、私が初めて海外訪問をしたのがハワイであるからです。それは私が恩師の没後、会長に就任した年でもあります。当時、少人数ではありましたが、私どもの会員のなかで海外に活躍の場を求めて雄飛する人が増えていました。世界宗教としての仏法の普遍性からして、これは当然のことであり、やがて更に多くの仏法実践者が海外に生まれるにちがいないと私は考えていました。
 「世界を知ろうと思うものは、まず自らが世界に動け」という言葉がありますが、私なりに時代の動向と、そしてこれから不可欠になるであろうグローバルな視座というものを思索し、その第一歩の礎石を築いておきたい。また実際、海外の地で苦闘している友人たちの応援をしたい。そんな気持で、海外訪問を決めたのでした。
 当時は、私どもには渡航の窓日の機関もなく、また外貨の制限も厳しかった頃です。ジェット機で八時間という現在とは違い、何かと不便で、また不案内であった時でした。予定では、現地の中心者が出迎えてくれる手筈になっていたのが、空港へ到着しても彼は来ていません。やむなく、あちこち探しあぐねた挙句、半ば取り壊されかかっているホテルヘ投宿した思い出があります。
 翌朝、ホテルの浜辺のテラスで同行のメンバーと朝食をとっていますと、ようやく現地の中心者をはじめとして二、三十人のメンバーが探しあてて来ました。手違いの原因は、最終確認のために旅行会社がつくった日程表が間違っていたためでした。朝の爽快な浜辺で皆で大笑いしたことが忘れられません。世界への私の旅はこうして始まりました。つまらぬ思い出話を記しましたが、あの浜辺での光景は、今も私の眼にありありと浮かんで参ります。
5  申し遅れましたが、お手紙と共に、写真集『人間とは何か? 明日はあるか?』を頂戴致しました。大変ありがとうございました。早速拝見させて戴きましたが、私も、その標題のように、「人間とは何か」という深刻な問いを突きつけられたような、強烈な衝撃を覚えざるを得ませんでした。
 井上さんのお書きになっていることで、すべては尽くされており、更に付け加えるべき何ものもないのですが、ただ私はこの深刻な問いかけに対して、やはり「明日はある、いや、明日は創られねばならない」という思いが、ふつふつと心奥より湧き上がるのを抑えようがありません。
 明日を信じ、未来を信ずることは、決してたんなるオプティミスト(楽観主義者)の空想であるとは思いません。それは困難な課題であるとしても、どうしても実現しなければならない目標ではないでしょうか。
 人間を信じ、未来を信ずるという時、その希望の原点にあるのは、御指摘のように、自ら生命を誕生させ、育む「母」という存在でありましょう。その点について、井上さんは「母」について書いた私の拙い詩を取り上げて下さって、そこに私が、いささか未熟な筆ながらこめようとした趣旨を、感動的に、見事に表現して下さいました。
 悲惨な地球上の現実に対して、烈しく抗議する資格のあるのは、おそらく母という存在以外にはないのではないか、というお言葉には全く同感です。実はつい昨日、久しぶりにこちらで行われた婦人部の会合に出席致しました。そこで私は平和への女性の役割について若干の所感を語りました。家事や育児に多忙のなかを、青春のなかにあるような若さをなお発揮して切磋琢磨する婦人の生命を育む姿に、私が安堵に似た思いを抱き、未来の人類への希望を託するのも、ひとえに母こそ、平和への大なる橋頭堡であると信ずるからです。
6  ところで、御書面を拝読しているうちに、井上さんの文学の根にあるもの、少なくともその一つの根は、母という存在への想いではないかと思われてなりませんでした。御書面には、御自身の「母」の記憶は一切触れられず、またもし「母」の詩を書くとすると、御自身の「母親」についてではなく、地球上のあらゆる母親が持っている「母」というものを書かねばならないだろうと仰言っておられますが、しかし、御書面を読むにつれて、その母への想いが、故郷への想いと交錯して、静謐せいひつに、しかも強烈に浮かび上がってくるように感じられます。ああ、ふるさとの山河よ、ちちははの国の雲よ、風よ、――と、井上さんが歌われた伊豆・湯ヶ島の光景が、私にも懐かしく映じてくるようです。
 私の知っている青年で、井上文学の熱心な読者がおります。井上さんの著された作品は、それこそ一冊残らず読んでいるそうです。一昨年、結婚したその青年は、新婚旅行の行先に伊豆の湯ヶ島を選びました。それは、井上さんの″ふるさと″だからという理由でした。自分の敬愛する作家の育った実家を訪ね、狩野川の流れに遊び、陶器に描いたような静かな伊豆の風景を堪能し、想い出を心の奥深く刻んで満足して帰ってきたようです。
 このような真摯な若人の心を捕らえて離さない魅力について、彼は言います。井上文学には、孤高、永遠への郷愁、そして詩がある。静かさと透明度に統一され、気品と格調が漂う。優しさがあふれ、なんともいえない人生の喜びというものがある。精神の、ある種の気高さなのだろうか、読む者をして毅然とせしめる何ものかがある……と。また辻邦生氏が「井上氏の作品の静謐感、気品、抒情の味わいは、現在の荒涼とした文学風土のなかではひときわ目立つ」と言っていますが、同感です。
 ただ、気品、静謐、抒情というそれらの評言に、私なりの率直な感想を付け加えさせて頂くならば、その奥底には母なる存在への根源的な想いに媒介された、烈しい人生への姿勢があるような気がしてなりません。多くの愛読者のために、井上さんのいよいよの御健筆を祈るしだいです。
7  故郷といえば、私は、大森海岸の海苔屋の息子に生まれ、潮風が吹く浜辺で育ちました。親代々の江戸・東京育ちです。以来、住む家も東京から離れたことがありませんので、いわばいつも郷里にいるようなもので、ふだんは特別に故郷といったようなイメージがわきません。この感情は、一つには、東京という大都会の有する性格に起因すると考えられますが、もう一つには、あまりにも生地の近くで生活を続けているということにもよると思われます。
 数年前、列車でパリから二時間の、旧い文化と歴史の谷ロワールを訪れたことがあります。なだらかな丘陵に点在する古城の尖塔は田園の詩情にけむり、清流は緑の岸辺を洗い、小径は花の饗宴でありました。澄み切った夜空は、満天、星にかがやいていました。
 フランスの青年たちと懇談の一夜を持ち、同行の写真家の方と宿舎のホテルヘ一戻ったとき、どういうきっかけであったか、突然、生まれ故郷の話になりました。その人が、たまたま私と同じ東京・蒲田の出身であったことが、その時初めてわかり、これは奇縁と、二人の″ちちははの国″談義が始まったわけです。ホテルの三階の踊り場で夜が更けるのも忘れ、紙とペンを持ち出して、地図を描き、それこそ遠く離れた故郷の話題を次から次へと互いに語りあいました。
 地図には、海が書かれ、道路が記され、池が印され、鉄道の線路が引かれました。
8  ――そう、対岸には、羽田飛行場の灯が漁火のように見えましたね、と私が言いました。
 ――ええ……、この道は、ここにこうありました、とその人が言います。
 ――いや、右へ曲がっていたのではないですか。大井町の駅の近くに夜店がズラリと並びましたね。あそこを兄貴と一緒に下駄ばきで歩くのも、夏のタベの楽しみでした。ゾリンゲンのカミソリを買ったことを覚えています。
 ――ハイカラな子供だったわけですね。
 ――あの頃は、海がここまであったんですよ。水はきれいだった。空気も澄んでいた。今は、国道が走っている。埋め立て地ですね。背丈を越す葦が生い茂っていた。……
 妻が「あら、ずいぶん話がはずんでいますね。時間は大丈夫ですか」と笑うので、時計を見たら十二時近くになっていました。日常の生活の場と遠く離れていることが、かえって郷里を近く感じさせたのでしょう。やはり、故郷は遠きにありて想うもの、であるのでしょうか。
9  故郷ということについて、もっと書きたいと思いましたが、すでに夜は白みかけました。井上さんの御書面に触発されて、ついつい饒舌になってしまったようです。ともあれ、母を語り、故郷への思いに新たな勇気を覚える時、人間は、日常の一切の煩わしさから解放された原点に立っているといえるかも知れません。
 来月は私の方からお手紙を差し上げます。あれこれと想を巡らせつつ、私にとって″新しい月″がきょうから始まるような思いが致します。
 残り少ない夏ですが、更に御仕事が進まれますよう願って、擱筆かくひつさせて戴きます。
 一九七五年八月十九日

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