Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

世論・民衆の力  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

前後
3  池田 何にもまして、そのことをまざまざと見せつけたのが、「世界を揺るがした三日間」と言われた今回のクーデターでしたね。いわゆる“八人組”に代表されるクーデター派は、軍、KGB、内務省といった強面のハード・パワーで脅しつければ、民衆を思いのままに操ることができるという、旧態依然たる思考の持ち主であったにちがいない。あなたの言う、ロシア民族固有の“強い手”へのひそかな願望……。
 「民衆の大地に根差して」の項で、日本の作家・芥川龍之介のレーニン評「誰よりも民衆を愛した君は/誰よりも民衆を軽蔑した君だ」(前掲『芥川龍之介全集6』)に言及しましたが、同じことをソ連の作家グロースマンは「レーニンの勝利は、彼の敗北となった」(『万物は流転する…』中田甫訳、『現代ロシヤ抵抗文集6』勁草書房)と評しております。
 いうまでもなく、レーニンの「勝利」とはロシア革命の成功であり、「敗北」とは、今回のクーデター騒ぎで民衆パワーの哀れな引き立て役を演じた軍、KGB、内務省の創設が、ほかならぬレーニンによって成されたことを意味しております。換言すれば、その「敗北」とは、千年にわたる歴史の中でロシアの魂にしみ込んでしまった奴隷根性の「勝利」にほかならない、奴隷根性が強権政治を誘引したのである――と。そして、グロースマンは述べています。「ロシヤ人の魂が自由になるのは一体何時のことであろう?
 あるいは、それは来ることはないのかも知れない。永遠に訪れることはないのかも知れない」(同前)と。
 まことに陰鬱な告白ですが、その意味からも、今回のクーデターをあえなく挫折に追い込んだ民衆パワーの台頭は、ロシア史に画期的な意味をもっていると言えましょう。グラスノスチによる知識や情報の普及、社会のいろいろな側面のデモクラチザーチヤ(民主化)は、大方の予想を超えた変化を、ソ連の社会や民衆におよぼしているようです。
 一部では、今回のクーデターによって、ゴルバチョフ時代が終焉を告げたかのような論評がなされていますが、いささか近視眼的にすぎます。
 クーデターの敗北は、まぎれもなくゴルバチョフ大統領の手で開始されたペレストロイカの勝利であり、もし、ゴルバチョフ政権の崩壊に執着するのなら、グロースマン流に「ゴルバチョフの敗北は、ゴルバチョフの勝利となった」と言うべきです。レーニンと、ちょうど反対の意味での逆説的結果がもたらされたわけです。
 事態は流動的で、まだまだ楽観は許されませんが、歴史の流れを決定づける要因としての民衆パワーの台頭が、今後も、健全な方向へと発展し、成熟していくことを祈ってやみません。
 トロツキー
 一八七九年―一九四〇年。ロシアの革命家。スターリンと対立して敗れ、暗殺された。

1
3