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日蓮大聖人・池田大作

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環境革命と人間革命  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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5  池田 私の記憶に間違いがなければ、あなたの『処刑台』の主人公の一人もまったく文字どおりに、「おれはもうこのままではこれ以上生きられない」(「このままじゃ俺は生きてゆけんよ」佐藤祥子訳、群像社)と言っていましたね。
 アイトマートフ ボストンです。彼は民衆の気分を伝えている人間の一人です。少なくも私はそうあってほしいと思っていました。民衆は袋小路に入り込んでしまったことを、生きることが無意味になってしまって、それがもはや堪えがたいものであることを、痛いほど感じていました。打開策が必要です。それはどんなものでしょうか? 自由か死か、それ以外に選択はありません。
 たとえば、ボストンについて言えば、彼は屈辱に甘んじて、しかたがない、長いものには巻かれるしかない、とあきらめることのできない人間です。彼の内部に強く発達している人間の尊厳は、あえて言えば、英雄的行為を要求しています。法律の観点から見れば、彼の行動形態はもちろん許されるものではありません。しかし、もっと高い、人間的観点に立てば、だれが彼に石を投げつけることができるでしょうか?
 自分の「主人公」の話ばかりして、すみません。民衆は本当に自分の民族的尊厳が侮辱され、自分が辱められているのを感じ、何としてでもみずからの尊厳性を守ろうとしている、ということの例として、彼のことにふれたまでです。
 池田 では、あなたの作品だけでなく、フェアを期するために(笑い)、ペレストロイカのもたらした話題作の一つ『アルバート街の子供たち』の一節を引いてみましょう。不当な罪をきせられて流罪になった気骨の青年サーシャの心境――苦悩の中で「偉大なる永遠性」にふれ、「我が身の不幸や苦しみの微々たることを感じた」流刑地での彼の心をよぎった言葉です。
 「それによって人を打ちのめすことができると思って人びとを流刑に追いやる者たちは、誤っている。人を殺すことはできても、打ちのめすことはできないのだ」(前掲、長島七穂訳)
 サーシャの「人を殺すことはできても、打ちのめすことはできない」との叫びは、ボストンの「おれはもうこのままではこれ以上生きられない」との叫びと同様、人間の尊厳を守りぬこうとする不屈の精神の表れであり、日本流に言えば“肺腑の言”です。
 ペレストロイカは、多くの曲折が予想される難事業ですが、こうした人間の尊厳性の叫びがこだまし、「人間」が軸に据えられているかぎり、ソ連の人々の未来に、大きな果実をもたらすでしょう。がんばってください。
 J・P・ナラヤン
 一九〇二年―七九年。インドの政治家、社会改革運動の指導者。
 ゲルツェン
 一八一二年―七〇年。ロシアの小説家、思想家。ロシア社会主義の実現に貢献。
 ジャコビニズム
 ブルジョワのもとに民衆や農民を結集する独裁的な中央集権制をとった、ジャコバン・クラブによる政治結社の主義。
 ロラン夫人
 一七五四年―九三年。ジロンド派で活躍したが、自派の敗北により処刑された。
 ロマン・ロラン
 一八六六年―一九四四年。フランスの作家。国際平和運動に尽力。ノーベル文学賞受賞。
 ソヴィエト旅行記
 ソビエト体制の腐敗をいち早くかぎ取り、それを文章にしたもので、当時の左翼主義的風潮にあって、ソ連当局はもとより、本国フランスを初めとする知識人から激しい反発を招いた。
 リヴェラ
 一八八六年―一九五七年。メキシコの画家。
 シケイロス
 一八九六年―一九七四年。メキシコの画家。
 プリシュヴィン
 一八七三年―一九五四年。

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