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日蓮大聖人・池田大作

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文学への初志  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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12  池田 あなたの作品については、別稿で話題にするつもりですが、『脱走兵の妻』は、日本語では『セイデの嘆き』として出版されました。私も、数十万人の人々を対象にしたある会合でのスピーチ(=第四十三回本部幹部会。一九九一年六月一日)で、その内容を詳しく紹介したところ、たいへんな反響でした。とくに、婦人の方々からは、女性のもつ「一途さ」「悲しみ」「強さ」に涙を禁じえなかった、といった声が数多く寄せられました。
 実際、平和といえばこれほど平和な時もないと言えなくもない現代の日本で、一人の女性のあのような勁烈な生きざまが強い感動を呼ぶということ自体、私にとっても喜びであり、ちょっとした驚きでもありました。
 『セイデの嘆き』にかぎらず、最近日本で出版された『母なる大地』にしても、ある意味では『チンギス・ハンの白い雲』にしても、あなたの作品に一貫して通底しているものは、昨年(一九九〇年)の夏、日本で我々が語り合った「母の力」と「権力」との対峙という問題ですね。
 そこに登場してくる母たち、妻たちは、決して声高に、あるいは観念的に、戦争反対を唱えたりはしていません。
 皆がそれぞれの境遇で、戦争というさまざまな矛盾をはらんだ巨悪を全身で受けとめ、精いっぱい生きぬいている。そのために、生活に即した彼女たちの魂の叫びは、戦争というものを美化しようとするあらゆる言葉の外皮をはぎとって、その醜い本質をえぐりだす力を秘めていると言ってよいのです。
13  そうした「女性」の目は「生活」の目であり「現実」の目、「人間」の目であるとも言えます。「人間」のよって立つ「生活」や「現実」が、空疎で声高なスローガンのもとに、どんなに脅かされ、踏みにじられてきたことか――人類史を振り返ってみると、その迷妄ぶりにそら恐ろしくなるほどです。
 私は“プロクルステスのベッド”を思い浮かべます。古代ギリシャの伝説的強盗プロクルステスは、旅人をおびき寄せて捕らえ、特殊なベッドに縛りつけ、背丈が長いときはベッドの長さに合わせて手足を切断し、短いときには強引に引き伸ばしたといいます。
 すべてにわたって「人間」が「ベッド」の寸法に合わせて切断されゆくさまは、イデオロギーやスローガンの名のもとに「生活」や「現実」「人間」が裁断され、犠牲にされゆく様子を彷彿させます。二十世紀は「戦争と革命の世紀」と言われますが、対独戦争やスターリニズムの嵐の中で膨大な犠牲者を出したソ連ほど、この世紀の悲劇的運命の荒波にさらされた国民もないと思います。
 もとより、太平洋戦争の惨禍を招いた日本も、例外ではありませんが、いずれにせよ、人類の歴史に宿命のようにまとわりついている“プロクルステスのベッド”という本末転倒は、何としても正していかなければならない。そこに、“人間主義”の復活という私どもの共同作業の意義があります。

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