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日蓮大聖人・池田大作

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1 仏教とキリスト教の共通点…  

「21世紀への人間と哲学」デルボラフ(池田大作全集第13巻)

前後
11  デルボラフ これまで述べてきた宗教体系の発展にさらに付けくわえるべき点は、各体系が、同時に、たがいに影響しあう二つの反省要素をもっているということです。
 おのおのに一種の生産的力が脈打っていて、それが信仰体験の具体的解釈をうながし、実践的信仰生活を豊かなものにしていると同時に、批判的啓蒙精神も、少しですが、存在していて、あまりに空想的な解釈や極度の変容傾向から信仰理解を守っているわけです。また、こうした啓蒙主義から、信仰への批判や自己批判も生まれ、既存の疑念を増長させたり、独自の信仰の前提をさえ問いただすところまでいくこともあります。
 先にあなたは、キリスト教と仏教の接点を、この二つの信仰体系が自己の精神的完成をめざす宗教であるという点に認められました。すなわち、死後の、また、――少なくとも仏教に関するかぎり――地上での幸福を決意するのは、その人間自身であるという点です。そこであなたが強調しておられるのは、両宗教の最初の歴史的出あいが、イエズス会士の日本での宣教活動を機縁としているため、両者の相違よりも類似面がより強くあらわれたという点です。
 たしかなことは、日本人をキリスト教の味方にするために、彼らは、仏教との障壁を積みあげるのではなく、仏教への橋渡しを意図したということです。そして、仏教的な考えが浸透していた住民は、その特有の寛大さで宣教師の努力に応じたのではないでしょうか。
 それにくわえて、教義の分野にくらべて、生活のなかで生きている信仰実践や、そこに織りなされる伝説形成の分野のほうが、相互理解が容易であるということも、助けになりました。たとえば、キリストの伝記と同じく、仏陀が超自然の力によって受胎され、誕生したという伝説があります。仏陀も悪魔に誘惑されたり、臨終のときには、大地震がおきたといわれますし、また、仏陀にも愛弟子もいれば一種の反逆者もいました。キリスト教の伝説形成には、こうした仏教の影響があることが証明されています。
 そこで、子どもを抱いたマリア像というのは、仏教の信仰世界のなかでも、似たようなイメージにぶつかるのはとうぜんかもしれません。ただ、このことは、両宗教の信仰道徳にかかわる非常に重要な共通点にくらべると、比較的外面的なものと思えます。愛とか慈悲とか、その内面的推進力をどう名づけようと、キリスト教徒も仏教徒も、その心はとくに貧しい人、弱い人に向けられています。両宗教はともに人間の実存的苦悩と脆弱さを――仏教はさらに人間以外の自然のそれをも――考慮にいれ、救いだそうとしたのです。
12  池田 まさにおっしゃるとおりで、仏教の菩薩行の根本は「上求菩提、下化衆生」とされ、一方において自己の精神的完成をめざすとともに、他方、あらゆる生き物に慈悲をもって接し救うことにあるのです。
 ただ、先に私が、前者の自己完成のほうだけをあげたのは、広い意味での仏教のなかには、小乗教や禅宗の教えのように、後者の慈悲を忘れているものもあるので、最大公約数的に、前者だけにとどめたのです。おそらくキリスト教のなかの種々の流派についても、この慈悲や愛の精神が欠けおちているものがあると思います。しかし、本来の精神に立ちもどるなら、この二つ――自己完成と慈悲(あるいは愛)――をともにそなえていくべきであることは、いうまでもありません。
13  経と律と論の三蔵
 三蔵とは仏教の経典の総称で、経蔵、律蔵、論蔵に分類。仏の所説の一切の経典、戒律、論釈をおさめること。
 フランシスコ・ザビエル
 (一五〇六年―五二年)スペインのイエズス会を創立した一人。一五四九年、鹿児島に上陸した日本への最初の宣教師。
 カール・ヤスパース
 (一八八三年―一九六九年)ドイツの実存哲学の代表的存在。精神病理学者をへて、のちに科学の限界に気づき、体系的に実存主義哲学を追究。「世界」「実存」「超存」「限界状況」「暗号解読」などの概念を展開した。

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