Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第十章 「生命」と「環境」を考える  

「生命と仏法を語る」(池田大作全集第11)

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7  あらゆる生命を育む慈悲の法則性
 ―― ここで、また環境の問題に戻りたいと思いますが、地球は砂漠化に向かって進んでいると警告する学者が多くおります。この点について先生は、ローマ・クラブの創始者である今は亡きペッチェイ博士とも対談されておりますね。
 池田 ペッチェイ博士とは、何回もお会いしました。二年前のパリが最後でした。
 このときも、七十五歳の高齢にもかかわらず、その日の朝、アメリカのボストンを出発し、私のいるホテルに来てくださった……。本当に忘れられない方です。
 ペッチェイ博士は、人類の未来をたいへんに危惧されていたお一人です。
 森林の乱開発についても、このままつづければ、五十年後には、熱帯雨林は全面的に破壊され、事実上砂漠化してしまうであろうと憂い、力説しておられた姿を、いまでも覚えております。
 ―― パリだけでなく日本でも、二回ほど会談なさっておりますね。
 池田 ええ。この八月の中旬にも、ご子息がわざわざ訪ねてこられることになっております。
 ―― ご子息は物理学者ですね。
 池田 そうです。そこで、歴史的にみても、この砂漠化と人間の生活の営みは、まったく深い関連性があることは事実です。
 ―― そうですね。
 池田 あのアフリカのサハラ砂漠も、一万年ぐらい前から長い間、緑したたる大地であったことは、歴史的事実のようです。その証拠に、さまざまな古代の文化遺跡が散在している。それは「古代芸術のギャラリー」ともよばれるほどです。
 また、ローマ帝国の時代にも、サハラの一部は一大穀倉地帯であったようです。
 それが、気候の変化や、過度の放牧などが原因となって砂漠化していったことは、多くの学者の説くところです。
 ―― メソポタミアも、肥沃な土地が砂漠化してしまったといわれております。
 ところで現代は、アマゾンやアメリカ大平原、またインドやエジプトなど、広範囲にわたり、砂漠化や洪水等の現象が起こってきている。
 屋嘉比 これは天災もあるが、人災も大きい。やはり、自然と人間を対峙させ、人間の欲望を無制限に解放しつづけてきた文明の結果でしょう。その意義においても、仏法の「依正不二」の視点はたいへん重要と、私は思えてなりませんね。
 池田 詳しくは、略させていただきますが、いわゆる地球と人間とのかかわりあいというものを、より長期的に、もっと本源的に、見直さなければならない時代に入ったと思う。
 心ある人々は、みなそう思っているにちがいない。
 屋嘉比 歴史をみても、平和と安定は、常に経済の問題と不可分であり、いわゆる自然の災害とか、飢饉といった問題も大きなウエートを占めてきたわけですからね。
 ―― 自然の脅威ほどこわいものはない。
 池田 その自然の脅威を、人類がみずからの手でつくりだすことほど、愚かなこともない。
 ですから、私どもはつねづね、「地球一体感」「運命共同体感」をもたらす哲学、宗教が大切であると主張しているわけです。
 ―― ペッチェイ博士も、「われわれ自身の資質の向上を基盤とした全面的な“人間革命”が、いまこそ必要不可欠である」と強調しておりましたね。
 屋嘉比 そうです。もはや、そこから出発しなければならないと思います。
 池田 そこで、私がいつも深く思索しなければならないと思っている御文があるのです。
 それは、「されば法界のすがた妙法蓮華経の五字にかはる事なし
 また、「法界の依正妙法なる故に平等一子の慈悲なり」という、一節です。
 屋嘉比 「法界」とは、どういう……。
 池田 一言で言えば、全宇宙、森羅三千のことです。ですから一切の森羅万象は「依報」も、「正報」も、ことごとく「南無妙法蓮華経」の一法の当体のほかにありえないというのです。
 屋嘉比 これは、はっきりした法則性ですね。
 池田 そう思います。この宇宙には、科学の法則もある。それなりの政治、経済の法則性もある。
 しかし、さらに奥深い、無始永遠なる大宇宙そのものにも、あらゆる生命を育みゆく慈悲の法則性があることが、仏の眼から見ればわかってくる。
 それを「本因妙」の仏法、「事の一念三千」即「南無妙法蓮華経」といわれるわけです。
 その法則の当体が、「一閻浮提第一」の御本尊となるわけです。
 この御本尊とは、「根本尊敬」「輪円具足」「功徳聚」とも名づけます。
 この御本尊を信じ、行じていったとき、初めて自身の生命も「事の一念三千」の当体となりゆくことができる。
 それこそ社会に、国土に、宇宙にまでも、「法味」を与えながら、よき環境をつくり、守りゆく原動力となるわけです。ゆえに仏法では、正信の人をば最大に大事にしております。
8  仏法根底に文化の創造
 池田 その意義で、初座という儀式において、東天に向かって、これまた十界三千の国土世間である大宇宙の運行に、「法味」を送っていくというのは重大な意味があると、私は思っております。
 屋嘉比 仏法は本当に一つひとつが明快であり、そのうえで深義が感じられますね。
 池田 ですから、大宇宙に「南無妙法蓮華経」という「法味」をあたえゆく人々が多くなればなるほど、その力用は確実に広がり、大宇宙という「依報」と、題目を唱える人の「正報」が、確かになることでしょう。
 これは、余談になりますが、明治時代の著名な人がよく話していたことがある。まことに素朴ななかにも含蓄のある話と、私は思ってきた。
 それは、中国の東北地方には雷がなかった。日本人が入るようになってから、雷が見られるようになった、というのです。
 ―― それは私も聞いたことがあります。
 偶然の一致か、なんらかの因果関係のなせるものか。それにしてもなにか心の奥に感ずるものがある話ですね。
 池田 これはまた、アラスカに住むある日本人から聞いた話ですが、まだあまり人間がいなかったころのアラスカは、本当に人間が住めるような場所ではなかった。
 ところが、人が多く住むようになってから、多少なりとも温度が上がってきた、といわれているというのです。
 屋嘉比 人間は火を使うから、気温が上がるということもあるのでしょうが、私は、もっとなにか大きな、生命が生きようとするとき、自然もそれに応じていくものがある気がします。
 池田 科学的にどうなるか、私にはわかりません。
 ただ、なんとなく不思議なものを感ずるのです。
 ―― いや、東京でも、昔から比べると、雪なんかもたいへん少なくなっている。
 屋嘉比 台風もほとんど来ませんね。
 ―― これも、ひとつの現象でしょうね。
 屋嘉比 それはそれとして、仏法が、最も現実を厳しくふまえながら、人生と社会と、そして宇宙をも包みゆく広がりの法であることは、私には驚きです。
 池田 ただ私は、信仰すればそれでよいというようなことは、まったく考えておりません。
 その大仏法を根底に、即政治・経済の発展、また科学・技術の進歩、さらに文化の創造へと常に連動しゆくのが、私どもの運動の目的である。それがまた仏法の真髄であり、仏法たるゆえんなのです。
 ―― トインビー博士も、「一文明における宗教は、その文明の生気の源泉である」と述べておりますね。
 池田 キリスト教でも、何世紀にもわたる人類的規模の実験がなされてきたと思う。
 また近くは、マルクス主義も実験されてきた。
 しかし、高度な科学文明が発達し、人類全体が絶滅か、共存共栄かが問われる時代は、日蓮大聖人の仏法が、これから何百年、何千年と実験、証明されゆく段階に入っていると、私は信じております。

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