Nichiren・Ikeda
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第六章 生命尊極の境涯「仏界」
「生命と仏法を語る」(池田大作全集第11)
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9 興味深い「脳と心」の研究
池田 ところで屋嘉比さん、人間の記憶力というものはたいへんなもので、脳生理学者の千葉康則博士が、「無意識のうちにも人間七十年間に記憶できる事柄は、十五兆にも達する」と述べているのを読んだことがある。この点は、どうでしょうか。
屋嘉比 そのようです。
池田 仏法には、「一人一日の中に八億四千念あり念念の中に作す」とあるんです。「八億四千」とは、八億四千万と同意で、数学好きの人がいて、これを七十年に換算したら、約二十一兆になった、というんです。
ま、「八億四千」というのは膨大な数量という意義と思います。
屋嘉比 いや、おもしろいですね。現代の精神医学の研究書にも、はっきり千葉博士などの見解が示されています。
池田 そうですか。
ところで、第五章でも少々論じたペンフィールド博士の「脳と心」の関係についての研究は、なかなか興味ぶかい。屋嘉比さん、ほかにも何かありますか。
屋嘉比 博士は、人間の過去の記憶が、脳のなかでどのようになっているかも調べたのです。
私たちの頭の、このわきのほうに「側頭葉」というところがあるんです。
ここを電気で刺激すると、患者は、過去に見た光景が目の前に浮かんで、そのときの思いも再現し、それを体験しているような気持ちになる、というのです。
池田 すると、要するに過去の自分が体験した、すべての記憶が蓄えられていると思っていいんですか。
屋嘉比 そのとおりです。
池田 この「側頭葉」というのは、どこにあって、どのくらいの大きさなんですか。
屋嘉比 耳の上あたりに広がっています。大きさも、手の平より少し小さなていどです。
池田 すると、なにかの印とか、なにかの色がついているわけでもないんですね。(笑い)
しかし、そこから一切の長い過去からの記憶が現出してくる、というわけですね。
屋嘉比 博士は、患者の脳のわきを、いま申しあげたように電気で刺激していくと、たとえば目の前に、「かつてケンカしたことのある人」「子供のころの彼女」「泥棒」など……、次々にあらわれてきたというのです。
池田 ウソ発見器ではなく、「記憶発見器」になるわけですね。(笑い)
屋嘉比 そうなるかもしれません。(笑い)
池田 この博士の研究は、世界の学者が認めているんですか。
屋嘉比 多くの研究者によって認められています。
池田 私にとっては、うれしい情報です。私は、人間の生命の核たる「我」には、人類発生、否、生命発生以来にわたる、まあ端的に言えば三十数億年の記憶が収まっているのではないか、とみたい一人なんです。
ともかく、過去の記憶といっても、ふだんはどこにあるのか、まったくわからない。
ところが、なんらかの刺激という「縁」によって、あらわれてくる。それを、仏法では「冥伏」といっている。
この仏法で説く「冥伏」の「冥」とは、簡単に言えば事物に溶け込んで見えないさま。そして「伏」は、隠す、隠れるの意義です。
屋嘉比 言いえて妙なる表現ですね。
池田 ですから、脳科学でいう感情、つまり喜びとか、怒りとか、哀しみとか、楽しみとかの働きが、脳のどこに関連するのかを解明していくことも、仏法者としても重大課題なんです。
屋嘉比 人間の目の後ろあたりに「視床下部」というのがあります。
これも脳の一部ですが、ここにも情動をつかさどる中枢があるようです。
池田 どうしてわかったのですか。
屋嘉比 それはネコの大脳を取りはずし、この視床下部に電気ショックをあたえてみたんです。そこに電気で刺激を加えると、ネコが怒りだし、そばにいたネズミに襲いかかった。
池田 すると、この実験で明らかになったのは、視床下部の働きをうながすようなキッカケがあると、怒りという感情が、実際に出てくる。そういうことですね。
屋嘉比 ええ、視床下部や大脳辺縁系は情動の中枢であり、そこに怒りとか恐れの心が関係しているようです。
それでいて、心とか精神はいったい何か、となると実体がない。
池田 要するに「心」や「精神」の働きは、大脳細胞という物質場に即して発現する、とみればよいのではないでしょうか。
仏法の“色心不二”の法理は「心」と「脳」を相即の関係とみるんです。
── 人間の脳も心も絶妙ですね。
屋嘉比 いつでしたか、池田先生が、「生命ほど不可思議なものはない。人体を機械に見たてようとする人もいるが、かりに機械として見たとしても、これほど見事な機械は、あらゆる科学をもってしてもつくれない。しかも、機械は他者の作品である。この生命という機械は、それ自体が作者であり、作品である」と言われたことを思い出します。
10 日本人は右脳型、西欧人は左脳型
── 「右脳ブーム」ですね。大脳は左右に分かれていて、それぞれ役目が違うそうですが。
屋嘉比 右脳は右半球とよび、感性とか、直観とか、イメージに深く関係しているようです。また、左脳は左半球で、論理、計算、言語の機能と関係しています。
両半球は、「脳梁」という渡り廊下でつながっているんです。
池田 その働きの違いは、アメリカの脳医学者スペリー博士が解明したそうですね。
屋嘉比 ええ、博士はノーベル賞をもらっています。
── その後、「右脳ブーム」とか「右脳革命」といわれ、まだ話題がつづいていますが、この点はどうなんですか。
池田 まあ、簡単に言うと、左脳は、ものごとを杓子定規にみる。
それに対して、右脳は、事の成りゆきの底流にあるものをみる。突然のひらめき、ずばり、頭に浮かぶ直観のような働きになる。だから、右脳をもっと開発しろ、ということですね。
屋嘉比 つまり、創造性とか情緒とか、言わば、現代が等しく求めている人間的な価値は、右脳にある。だからもっと活発化すればいい、そんな議論とみていますが……。
── 日本文化は絵画的でイメージにあふれている。つまり右脳文化。
一方、論理の文化である西洋は、左脳的という人もいますね。
池田 早く言えば、右脳型は日本人、左脳型は西欧人という特色は、ほぼ間違いないと思います。そういうことからも、なかなか東西の文化交流は、志向性の隔たりが大きすぎるわけだ。
── だからといって、右脳型をすぐに左脳型に変えたりできないでしょう。
また左脳型を右脳型に変えることもできない。長い間の傾向性ですから。
東西の一体感というのは、たいへんむずかしいことがあるでしょう。
屋嘉比 大脳の左半球と右半球の真ん中を仕切り、両者をつなぐ役割をするのが「脳梁」なんですが、この「脳梁」には、約二億本もの神経線維があるといわれています。
池田 左右の脳の働きを統合し闊達自在な頭脳の働きにしていくには、たいへん飛躍した論理かもしれませんが、仏法に「融通無礙」とあるように、また「中道一実」とあるように、「妙法」という「縁」をあたえることが、またその「力用」「働き」をあたえることが、大事になってくるような気がしますが。
ですから私は、左脳、右脳両者の働きを止揚しながら、地球人一体への英知を志向していくこともできると思います。
屋嘉比 いや、それは、素晴らしい話です。
両者の発達こそ、調和ある人類進歩への道と思います。