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日蓮大聖人・池田大作

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第六章 生命尊極の境涯「仏界」  

「生命と仏法を語る」(池田大作全集第11)

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8  鍛えるほど活発化する神経細胞
 ── すると先生、脳の大きさや重さは、頭のよしあしに関係ないのですか。(笑い)
 池田 統計的にはあるようですが、私は、個々にはあてはまらない、と思います。屋嘉比さん、どうでしょうか。
 いつでしたか、脳の重さを測ることのできた天才たちのデータが、どこかに紹介されていた。重い人、軽い人、千差万別でしたね。
 屋嘉比 私も見たことがあります。ノーベル賞をうけた文豪でも、一千グラムぐらいの人がいまして、日本人の場合は、平均一千三百グラムぐらいですから、それよりだいぶ軽い。(笑い)
 池田 すると脳の重さも、体格や体重に比例するものかもしれませんね。どうでしょう。
 屋嘉比 頭の下に首があって、身体がそれを支えるのですから、普通はそうです。
 ただ、人間以外の動物の例ですと、クジラは二千五百グラム、象は五千グラムです。
 身体全体の体重からすると、クジラは〇・〇〇三パーセント、象は〇・二パーセントになります。ですから、体重のなかで、脳のウエートが増えたからといって、必ずしも知能が上昇するとはかぎらないようです。
 ── 頭は、使えば使うほどよくなるというのは事実ですか。(笑い)
 池田 これは屋嘉比さんの分野ですが(笑い)、人体の各器官は、すべて使うことによって発達し、使わなければ退化する。どうですか、屋嘉比さん。
 屋嘉比 先生のおっしゃるとおりですね。前の章でも話題になりましたが、脳は灰白色で表面は深いシワを形成し、約百四十億ともいわれる神経細胞が、ぎっしり詰まっています。
 池田 その神経細胞の数は、胎児期に、もはや全部そろっているんですね。
 屋嘉比 そうです。生後、脳が発達するのは、その神経細胞が突起を伸ばし、他の神経細胞とシナプスをつくっていくのが、主な原因です。
 池田 では「記憶力」には、神経細胞間の「シナプス」が関係するとみてよいのですか。
 本を読むと、この神経細胞と神経細胞をつなぐ「シナプス」とは、発動機のピストンのように並んでいて、それが刺激によってお互いが震動し、次々に回路が発生し、また変化し、あらゆる伝達の役目をすばやく正確に行うもので、無限に広がりゆくものと、書いてありますが、どうなんですか。
 屋嘉比 ええ、シナプスが発達し、その数が増えると、神経細胞間の連絡網が緻密となり、より多くの神経回路のパターンが生まれ、さらに高度な情報伝達が可能となるのです。
 池田 すると頭をどんどん使い、このピストンのように立ち並んでいるシナプスを、繰りかえし、繰りかえし動かしていくと、そのシナプスは頭を使った分だけ増えると思っていいのですね。
 屋嘉比 そのようです。逆に学習をやめたとたん減るそうです。そのことを、アメリカのロックフェラー大学のノッテボーム博士が、カナリアを使って実験証明しています。
 「歌を忘れたカナリア」と、歌にもありますが、カナリアの雄は、春、さえずりますが、秋になるとさえずりをやめます。そのさえずりの練習を始めたときと、やめたときのシナプスを比較したら、春のほうが多かったそうです。
 池田 それはおもしろい実験ですね。まあ、人間の脳とカナリアの脳とは、ずいぶん違うと思うが(笑い)、だがひとつの方程式は考えられる。
 屋嘉比 そうなんです。神経回路網を広げていくには、シナプスを発達させていくことが必要です。それが機能どおりスムーズに働けば、「頭がいい」ということになります。
 池田 やはり、われわれもしょっちゅう本を読まなくてはダメだ。(笑い)
 頭を使うことはもちろん必要である。また、どんどん歩いたり、指先を使う運動も、やったほうがいいことになりますか。
 屋嘉比 そうなんです。
 池田 弱ったね、なかなか歩けないし、クルミを買わなくちゃいけないな。(笑い)
 手先を使うと、神経細胞が発達するという実験はあるんですか。またその根拠はあるんですか。
 屋嘉比 とくに人間は、完全直立で手を器用に動かし、道具を使おうと努力したことから、大脳を活発化させ、その結果として言語能力を高めたともいわれています。
 池田 するとある機能が発達すると、他の機能もおのずから発達する。互いに相乗関係になって、全体的に発達していくと考えていいんですか。
 屋嘉比 そのとおりです。
 ── すると、屋嘉比さん、老人が寝こむと、めっきり老けこんだり、また定年退職になったサラリーマンが、極端に白髪になったり、若さを失う人がいるのも、そうした理由もあるんですか。
 屋嘉比 あると思います。また、子供のころ、大豆、昆布などの硬いものを食べさせるといいといわれるのは、歯のためもありますが、同時に脳の刺激にもなるようです。
 ── すると、常に動き、考え、しっかり食べることが、頭をよくするリズムでしょうか。
 池田 まあ、一理は考えられるし納得できますね。
 屋嘉比 そのとおりです。
 頭がいいというのは、神経回路が活発かつスムーズに進むことですから。
 池田 要するに、そうしますと「人間」というものは、自分自身を大切にして、いたわることも大事であろうが、それ以上に、多忙であっても目的観をもち、前へ前へと進んで鍛えあげることが、もっと大切になるわけですね。
 屋嘉比 まったく理にかなった指摘です。生涯、いくつになっても、人生に価値を見いだしていくことが、大事になるのではないでしょうか。
 ── ところで、ちょっと話を変えますが、いちじ知能指数(IQ)がどうのと、ずいぶん騒がれたこともありましたが。
 屋嘉比 それも、まったく変わらないというのは、誤解です。
 池田 まあ、私もそう思います。知能指数も、だんだん変化していくと考えたほうが正しいと思う。
 その根本は、ま、その個人の努力いかんが大切となる。さらに、教育によっても変わっていくでしょうし、時代の進歩と文化レベルが上昇していくにつれて、向上していく場合もあるでしょう。
 屋嘉比 それは現在の医学ではっきりと示されていますね。
9  興味深い「脳と心」の研究
 池田 ところで屋嘉比さん、人間の記憶力というものはたいへんなもので、脳生理学者の千葉康則博士が、「無意識のうちにも人間七十年間に記憶できる事柄は、十五兆にも達する」と述べているのを読んだことがある。この点は、どうでしょうか。
 屋嘉比 そのようです。
 池田 仏法には、「一人一日の中に八億四千念あり念念の中に作す」とあるんです。「八億四千」とは、八億四千万と同意で、数学好きの人がいて、これを七十年に換算したら、約二十一兆になった、というんです。
 ま、「八億四千」というのは膨大な数量という意義と思います。
 屋嘉比 いや、おもしろいですね。現代の精神医学の研究書にも、はっきり千葉博士などの見解が示されています。
 池田 そうですか。
 ところで、第五章でも少々論じたペンフィールド博士の「脳と心」の関係についての研究は、なかなか興味ぶかい。屋嘉比さん、ほかにも何かありますか。
 屋嘉比 博士は、人間の過去の記憶が、脳のなかでどのようになっているかも調べたのです。
 私たちの頭の、このわきのほうに「側頭葉」というところがあるんです。
 ここを電気で刺激すると、患者は、過去に見た光景が目の前に浮かんで、そのときの思いも再現し、それを体験しているような気持ちになる、というのです。
 池田 すると、要するに過去の自分が体験した、すべての記憶が蓄えられていると思っていいんですか。
 屋嘉比 そのとおりです。
 池田 この「側頭葉」というのは、どこにあって、どのくらいの大きさなんですか。
 屋嘉比 耳の上あたりに広がっています。大きさも、手の平より少し小さなていどです。
 池田 すると、なにかの印とか、なにかの色がついているわけでもないんですね。(笑い)
 しかし、そこから一切の長い過去からの記憶が現出してくる、というわけですね。
 屋嘉比 博士は、患者の脳のわきを、いま申しあげたように電気で刺激していくと、たとえば目の前に、「かつてケンカしたことのある人」「子供のころの彼女」「泥棒」など……、次々にあらわれてきたというのです。
 池田 ウソ発見器ではなく、「記憶発見器」になるわけですね。(笑い)
 屋嘉比 そうなるかもしれません。(笑い)
 池田 この博士の研究は、世界の学者が認めているんですか。
 屋嘉比 多くの研究者によって認められています。
 池田 私にとっては、うれしい情報です。私は、人間の生命の核たる「我」には、人類発生、否、生命発生以来にわたる、まあ端的に言えば三十数億年の記憶が収まっているのではないか、とみたい一人なんです。
 ともかく、過去の記憶といっても、ふだんはどこにあるのか、まったくわからない。
 ところが、なんらかの刺激という「縁」によって、あらわれてくる。それを、仏法では「冥伏」といっている。
 この仏法で説く「冥伏」の「冥」とは、簡単に言えば事物に溶け込んで見えないさま。そして「伏」は、隠す、隠れるの意義です。
 屋嘉比 言いえて妙なる表現ですね。
 池田 ですから、脳科学でいう感情、つまり喜びとか、怒りとか、哀しみとか、楽しみとかの働きが、脳のどこに関連するのかを解明していくことも、仏法者としても重大課題なんです。
 屋嘉比 人間の目の後ろあたりに「視床下部」というのがあります。
 これも脳の一部ですが、ここにも情動をつかさどる中枢があるようです。
 池田 どうしてわかったのですか。
 屋嘉比 それはネコの大脳を取りはずし、この視床下部に電気ショックをあたえてみたんです。そこに電気で刺激を加えると、ネコが怒りだし、そばにいたネズミに襲いかかった。
 池田 すると、この実験で明らかになったのは、視床下部の働きをうながすようなキッカケがあると、怒りという感情が、実際に出てくる。そういうことですね。
 屋嘉比 ええ、視床下部や大脳辺縁系は情動の中枢であり、そこに怒りとか恐れの心が関係しているようです。
 それでいて、心とか精神はいったい何か、となると実体がない。
 池田 要するに「心」や「精神」の働きは、大脳細胞という物質場に即して発現する、とみればよいのではないでしょうか。
 仏法の“色心不二”の法理は「心」と「脳」を相即の関係とみるんです。
 ── 人間の脳も心も絶妙ですね。
 屋嘉比 いつでしたか、池田先生が、「生命ほど不可思議なものはない。人体を機械に見たてようとする人もいるが、かりに機械として見たとしても、これほど見事な機械は、あらゆる科学をもってしてもつくれない。しかも、機械は他者の作品である。この生命という機械は、それ自体が作者であり、作品である」と言われたことを思い出します。
10  日本人は右脳型、西欧人は左脳型
 ── 「右脳ブーム」ですね。大脳は左右に分かれていて、それぞれ役目が違うそうですが。
 屋嘉比 右脳は右半球とよび、感性とか、直観とか、イメージに深く関係しているようです。また、左脳は左半球で、論理、計算、言語の機能と関係しています。
 両半球は、「脳梁」という渡り廊下でつながっているんです。
 池田 その働きの違いは、アメリカの脳医学者スペリー博士が解明したそうですね。
 屋嘉比 ええ、博士はノーベル賞をもらっています。
 ── その後、「右脳ブーム」とか「右脳革命」といわれ、まだ話題がつづいていますが、この点はどうなんですか。
 池田 まあ、簡単に言うと、左脳は、ものごとを杓子定規にみる。
 それに対して、右脳は、事の成りゆきの底流にあるものをみる。突然のひらめき、ずばり、頭に浮かぶ直観のような働きになる。だから、右脳をもっと開発しろ、ということですね。
 屋嘉比 つまり、創造性とか情緒とか、言わば、現代が等しく求めている人間的な価値は、右脳にある。だからもっと活発化すればいい、そんな議論とみていますが……。
 ── 日本文化は絵画的でイメージにあふれている。つまり右脳文化。
 一方、論理の文化である西洋は、左脳的という人もいますね。
 池田 早く言えば、右脳型は日本人、左脳型は西欧人という特色は、ほぼ間違いないと思います。そういうことからも、なかなか東西の文化交流は、志向性の隔たりが大きすぎるわけだ。
 ── だからといって、右脳型をすぐに左脳型に変えたりできないでしょう。
 また左脳型を右脳型に変えることもできない。長い間の傾向性ですから。
 東西の一体感というのは、たいへんむずかしいことがあるでしょう。
 屋嘉比 大脳の左半球と右半球の真ん中を仕切り、両者をつなぐ役割をするのが「脳梁」なんですが、この「脳梁」には、約二億本もの神経線維があるといわれています。
 池田 左右の脳の働きを統合し闊達自在な頭脳の働きにしていくには、たいへん飛躍した論理かもしれませんが、仏法に「融通無礙」とあるように、また「中道一実」とあるように、「妙法」という「縁」をあたえることが、またその「力用」「働き」をあたえることが、大事になってくるような気がしますが。
 ですから私は、左脳、右脳両者の働きを止揚しながら、地球人一体への英知を志向していくこともできると思います。
 屋嘉比 いや、それは、素晴らしい話です。
 両者の発達こそ、調和ある人類進歩への道と思います。

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