Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第五章 「脳と心」の神秘を探る  

「生命と仏法を語る」(池田大作全集第11)

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9  宇宙大に広がる「九識」の存在
 ── 「五識」とは何でしょうか。
 池田 いま、申しあげたように、仏法では、人間の「心」というものの働きを、ひとつには「眼」「耳」「鼻」「舌」「身」という五官にともなうものであると、説いているわけです。「五識」の「識」とは、「境に対して(略)了了別知することを名けて識と為す」というように、対象を分析し、認識する作用をさしているわけです。
 また、少々専門的になってすみません。(笑い)
 屋嘉比 いえ、勉強のために、ぜひお願いします。
 池田 いまの「五識」と、いわゆる「第六識」である人間の物事に対する思考というか、思慮といった「意識」は、だれびともよくわかることです。
 屋嘉比 ええ、そうですね。
 池田 ところが、仏法の高次元の直観の眼は、その「六識」の奥に、「七識」という人間精神の深い内面の世界、また「八識」という、その内面世界の基盤となる「無意識深奥」の世界、さらには宇宙大に広がりゆく「大我」である「九識」というものをとらえております。
 このへんは、『「仏法と宇宙」を語る』でも少々論じさせていただきましたので、略させていただきますが、ともかく「法」を軸として、無限の広がりと深さをもって説かれているのが仏法なんです。
 屋嘉比 いま、池田先生が、人間精神の深い内面世界とおっしゃいましたが、それについても、ペンフィールドの興味ぶかい研究がありました。
 博士は、人間の高度な心の働きとなる「信ずるということ」、また決心というような「価値の判断」とかいったことは、五官の反応と異なって、脳のどこの部分を刺激してもあらわれない、と主張しております。
 池田 それは、私も聞いたことがあります。当然のことながら、物事への価値判断力などは、人間の心の働きがもつ高度な機能である。それは、あくまでも、脳という「座」を借りて存在しているものだ、と博士は言っていたそうですが……。
 屋嘉比 そうです。
 池田 でありながら、さきほどのヘス博士たちの研究からも明らかなように、人間の「心」と、物質である「脳」は相互に影響をおよぼしている。
 つまり「二にして不二」としか、とらえようがない……。
 科学が進むと、たしかに仏法が理解しやすくなることが、これでもわかる。
 ともかく、このへんは、医学の今後の重大課題ではないでしょうか。
 屋嘉比 そう思います。ところが、池田先生のお話をうかがっていると、仏法は、いわゆる「心」の、さらに奥深い生命の実相に光をあてています。医学はとうていそこまではおよびません。
 もはや、心の問題は、医学上においても、高度な哲学との連関のうえから把握されなければならない段階に入ったのです。
 ── 博士の考え方は、亡くなってすでに二十年になりますが、現在でも認められているのですか。
 屋嘉比 おります。日進月歩の医学の分野では古典的な研究ですが、この考え方は、現在でも十分認められております。
 また同じような研究をした、フランスのロジ・ギョーマン博士は、ノーベル賞を受けています。この人は健在です。
 池田 そのギョーマン博士の功績は、広く世間で認められておりますね。
 ── いや、ギョーマン博士は、いっぺん池田先生に会いたいという話があったのではないですか。
 池田 あった気がします。互いに多忙で、お会いできなかったのだと思います。
 ── いま、アメリカの研究所にいますよ。
 池田 ああ、そうかもしれませんね。
 ── 二、三年前、ローマクラブの故ペッチェイ博士とギョーマン博士が北京でたまたま一緒になったそうです。そのとき、池田先生のことも話に出たと、ペッチェイ博士がパリの日本人の医学博士に、あとで語っていたそうですよ。
 池田 ああ、そうですか。それは知りませんでした。
 「一念」に収まる森羅三千の法
 屋嘉比 私は、じつはこの対談を進めるにあたって、池田先生の『「仏法と宇宙」を語る』を読みなおしました。
 池田 いや、それはどうも恐縮です。(笑い)
 屋嘉比 そのなかに、この脳の解明と、非常に関連があると思ったことがあるんです。
 ── どんなことでしょうか。
 屋嘉比 池田先生は、人間の一念というものは、宇宙大の広がりをもつものである、と話されておりました。
 ── ええ、そうでした。「人間の一念と宇宙」という連関性も、まことに不思議ですね。
 池田 ひとつの次元で言えば、ミクロ(極小)の世界とマクロ(極大)の世界ともいえますね。
 これもまた、まことに妙である。この広大無限な宇宙も、その始まりは、はるかに極小の「火の玉」であった。まことに小さな原子核の融合が、巨大なエネルギーとなる。
 また、極微の遺伝子に、何億もの情報が存在する等々……。
 屋嘉比 人間の脳神経細胞の数も、百四十億個ともいわれます。
 ── これもまた不思議ですね。
 池田 まったくそのとおりだ。さらに百四十億個の神経細胞一個一個が、樹状突起をのばし、約千の他の神経細胞と連絡網をつくっている。その連絡網の組み合わせは、これまた宇宙大である、と聞いたことがありますが、屋嘉比さん、本当ですか。
 屋嘉比 そのとおりです。計算してみますと、この全宇宙に存在する陽子と電子の数は、10の一千乗より少ないようですが、神経細胞の組み合わせは、10の三兆乗にもなります。
 池田 要するに、われわれ人間の頭脳の働きの組み合わせは、宇宙大の広がりの、無限に近い数となってしまう、というわけですね。
 屋嘉比 これもミクロとマクロのおもしろいところです。こうしたことも仏法の「一念三千」の法理に通ずる気がします。
 池田 たとえて言えば、そういう考え方もあるかもしれません。私は、一面はそれでけっこうであると思います。私は仏法者ですから、信仰のうえからみますが……。
 屋嘉比 いまの医者は、帰納的な思考の教育をうけていますから、先生のような評価をしてくださるとありがたいんです。
 池田 仏法においては、人間の生命というものを「一念三千」とも「一心法界」とも、また「総在一念」とも、完璧に説かれております。
 つまり、この人間の「一心」すなわち「生命」という存在に、この全宇宙の森羅三千のありとあらゆる諸法が、すべて具足されてしまうことを、明快に教えているわけです。
 ですから、ひとつの次元で、脳の細胞の数という客観的公準から、この人間の一念というものに、宇宙がすっぽりと収まってしまうことが、ここでも証明された、といってもさしつかえないと思っております。
 そこで私どもの信仰の実践、また現実の人生、生活のうえからみれば、「一念三千」「一心法界」「総在一念」といっても、いまだ「理」というか、「観念」の範疇である。
 日々刻々と変化しゆく現実の生活にあって、広々と無限に広がる「一念」をもつことが、真の幸福といえる。その「一念」をもちうる、確固たる自身の人生観があるならば、この荒波のごとき社会をば、悠々と乗りきっていけると思う。
 ここが、最大の人生の問題ではないでしょうか。
 屋嘉比 そのとおりです。そうでなければ高邁な理論も価値とはならない。
 池田 そこで、その人間の「一念」というものを最極に開きゆき、一人ひとりが、日々価値の創造をせしめゆく現実的方途を、日蓮大聖人の仏法は、説き明かしているわけです。その強き一念の波動は全宇宙の果てまで広がりゆくと……。
 この方程式を大聖人は、「題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし」とおっしゃっておられるのです。
 屋嘉比 ある哲学者が、「脳の問題は科学にまかせても、心の問題は心に返して、人間としてよく生きるという、このことである」と語っていました。
 私は心の問題は、医学者もやはり、より広い視野からのアプローチが必要と思います。

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