Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二章 宇宙と人間の「根本法…  

「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)

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14  六道輪廻と四聖
 池田 そうです。地獄・餓鬼・畜生は「三悪道」、修羅界を入れて「四悪趣」です。不幸といわれる人間の姿を、仏法はこのように詳細に説き明かしているわけです。
 また「人界」とは、「平かなるは人」とあります。人間的な自我の大地に立脚した境界になりますか。
 仏法では、人間について、「聡明」「勝」「微妙な意識」(意微細)、「正しく物事を判断」(正覚)、「智慧増上」「虚と実をよく判別」(能別虚実)、「仏道を成ずる正しい度量」(聖道正器)、「過去世からの福運に満ちている」(聡慧業所生)と、以上の八義があるとしています。
 木口 なるほど。そうしますと、天界はどうでしょうか。
 池田 そうですね。
 簡潔な言い方になりますが、「天界」は「喜ぶは天」とあり、一説では欲望の世界に「六天」、物質の世界に「十八天」、精神の世界に「四天」で計二十八天に、喜びを感じる生命感情を分類しています。
 本能的欲望の充足感より、もっと生命の充実感をさしているといえましょう。
 一説には「天は宮殿」(「三重秘伝抄」)とあり、恵まれた環境のことです。
 ―― しかし「天人五衰」ではないでしょうか。
 池田 そうです。
 永続的なものではなく、崩れさる運命にある、瞬間的な境界でしょうね。
 仏法では、以上を「六道」といい、通常、この境界を「輪廻」し、生死、生死と、巡りゆくと説かれています。
 ただし、人間は六道輪廻だけに満足せず、学問、努力を重ね、「声聞」「縁覚」といわれる境界をめざしている。さらに人類、社会のためにと一身をなげうって、その救済に励む力用、すなわち「菩薩」「仏」の「四聖」を深く求めていく。これこそ生命的“我”の本性といっていいでしょう。
 この「四聖」は、また機会をみつけて述べたいと思います。
15  光速宇宙船での旅
 ―― ところで、話題を少々変えたいと思いますが……。先日、おもしろいエッセーを書く画家の方から、こんな話を聞きました。
 人間がインフルエンザにかかって、寝込んでしまうのは、人間を地球の大きさにすると、インフルエンザのウイルスは、フットボールの球ほどになる。
 ですから、カゼをひくのは、地球がそのボールに当たって、ひっくり返ったようなものだ(笑い)、というわけです。
 このたとえはどうでしょう木口さん、正確でしょうか。(笑い)
 木口 そうですね。ウイルスは、〇・四から〇・〇一ミクロンで、最も小さな病原体です。一ミクロンとは、一ミリの千分の一ですから、だいたいその比較のとおりの関係になりますね。
 ちなみにウイルスは、光学顕微鏡では見ることもできませんが、電子顕微鏡ですと写真にまで写せます。
 ―― オランダのR・ハウインという人が、こんな意表をついた思考ばかりを集めています。そのおもしろいデータを参照しながら、さきほどの「光年」をもう少し考えてみたいと思いますが。
 木口 おもしろいですね。
 ―― たとえば、マゼラン星雲のなかで輝く恒星から、今夜、私たちのところに届いた光は「北京原人が洞穴で木を燃やしていた時期(数十万年前)から、いわば“視覚的挨拶”をもたらした」そうですから、じつに長い旅を重ねてきているわけです。
 池田 光速の宇宙船(秒速三十万キロ)で、天の川へ向かうと、地球を出発して「太陽を横切るのにわずか八分後」と聞いたことがありますが、本当ですか。
 木口 ええ、そのとおりになりますね。
 池田 また出発から四十五分後には、木星の重力圏を突っきり、八十分で土星まで行く、五時間もたてば冥王星、そのあとは、果てしなき宇宙の海原をただよい、四年あまり飛びつづけて、アルファ・ケンタウルス(太陽系から最も近い恒星)があらわれ、オリオン座のリゲル(青い一等星)を目の当たりにするのに六百年、ともなにかで読んだことがありますが……。ともかく光の速さでもこれだけかかる。まことに、広大無辺の宇宙としかいいようがない。
 木口 そうです。宇宙船では何世代もが交代し、子々孫々にわたり乗り継いでいくことになります。そうしますと、事実上、光より速いロケットができないかぎり、宇宙の大航海は不可能のようにみえます。
 ところが、アインシュタインの特殊相対性理論では、決して不可能ではないことになります。
 池田 なるほど、「ウラシマ効果」のことですね。スピードが上がることによって、地球からみて宇宙船内の時間の進み方が変化してくる。
 木口 ええ、そうです。
 ―― その点についても、のちほど詳しく論じていただきたいと思います。

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