Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二章 宇宙と人間の「根本法…  

「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)

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13  生命には十種類の変化相
 ―― このブラック・ホールの問題は、宇宙の時空、重力波エネルギーなどの関連から、またなにかの機会に、論じてもらえればと思います。
 それにしても、地獄へ堕ちる人間は、息をのむような凄惨なものですね。
 ところで「地獄」「餓鬼」「畜生」の三悪道の住人は、中国の古典『十八史略』では、「大姦は忠に似たり。大詐は信に似たり」の姿をとるのが、常のようですが。(笑い)
 池田 これらの姿は、われわれが、よく見ているところです。(爆笑)
 いまのは地獄の話ですが、「観心本尊抄」という御書に「夫れ一心に十法界を具す」とあります。
 端的に言えば、生命自体の十種類の変化相、生命が内より感じている境地を、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏と説いています。人間の生命の具体的な姿、幸、不幸という境涯のことです。
 なお、「総勘文抄」という御書には、「草木・樹林・山河・大地にも一微塵の中にも互に各十法界の法を具足す」とあります。宇宙のありとあらゆる存在に、十界が厳然とそなわっているというのです。
 この十界の衆生の住む所は同じ界で、たとえば地獄の生命の人が住むところは、そこもまた地獄ということです。
 木口 地獄界には、多くの種類があると聞いていますが。
 池田 そうです。一説によれば、「八大地獄」には、おのおのに十六の小地獄があって、全部で「百三十六」になります。
 おおまかな分け方は、等活、黒縄、衆合、叫喚、大叫喚、焦熱、大焦熱、大阿鼻(無間)となり、それぞれに十六地獄がある。
 とくに大阿鼻(無間)地獄の状態を、「顕謗法抄」という御書には、「若し仏・此の地獄の苦をつぶさに説かせ給はば人聴いて血をはいて死すべき故にくわしく仏説き給はずとみへたり」と説かれている。
 木口 ブラック・ホールは、私たち研究者のなかでもまだナゾですが、さきほどのN・コールダー博士は、地獄のひとつの姿である、身体がバラバラになる凄惨な姿を、科学の理論によって解明したことになります。
 ―― よく胸が裂けるほどの悲痛といいますが、最近、アメリカのある医学者が、強烈なある悲しみが原因で心臓が破裂した患者の例を報告しています。
 池田 なるほど。それは、精神的に耐えがたい激痛とみられます。宇宙も人間も、まだまだ不可思議の当体といっていいでしょう。
 木口 餓鬼界から仏界まで、簡単に言うと、どうなりますか。
 池田 大聖人の眼は、生命の本質を明快にとらえられています。
 「観心本尊抄」という御書に「しばしば他面を見るに或時は喜び或時はいかり或時はたいらかに或時はむさぼりり現じ或時はおろか現じ或時は諂曲てんごくなり、瞋るは地獄・貪るは餓鬼・癡は畜生・諂曲てんごくなるは修羅・喜ぶは天・平かなるは人なり」と簡潔に説かれています。
 この「我」の実体を究明するのも、科学の大切な課題ですね。
 木口 そのとおりです。さきほど池田先生が指摘されたように、科学はもっと人間に帰還しなければと思います。
 ―― 最近、フランスの民族学者の書いた『伝統社会における肉体』(F・ルークス著)という本が、ちょっと注目されています。
 その著者は“宇宙の中心としての肉体”を考察し、肉体を「宇宙を貫いて、日常的な土地への定着」ととらえ、「天空世界をつなぐ架橋」ととらえた、なかなかユニークな研究です。
 池田 人間探究は、学問の世界はもとより、時代それ自体の勢いになった、と私はみたい。
 仏法は「人間」を、「色心不二」の当体ととらえます。簡単に言えば、「色」とは肉体、「心」とは「精神」になります。この一体化が生命であり、「人間」です。
 木口 ところが、この人間存在を、これまではトータルにではなく、バラバラに究明しようとしてきましたね。
 池田 ともかく、科学も医学も「人間」の基準を模索し、模索しながら今日まできたのではないでしょうか。フランスの哲学者ベルクソンや、スイスの精神病理学者ユングは、むしろ精神面でしたね。
 ―― そのへんの問題は、また詳しくお聞きしたいと思います。
 ところで、餓鬼道については、釈尊の弟子、目連と母親の話がよく知られていますが。
 池田 そうです。
 神通第一といわれた目連尊者が、天眼でみた餓鬼の姿ですね。
 これは「盂蘭盆御書」に、「餓鬼道と申すところに我が母あり、む事なし食うことなし、皮はきんてう金鳥むしれるがごとく骨はまろき石をならべたるがごとし、頭はまりのごとく頸はいとのごとし腹は大海のごとし、口をはり手を合せて物をこへる形は・へたるひるの人のをかげるがごとし」と説かれています。
 目連尊者が、食を与えようとすると、火となって燃えてしまう。
 これは餓鬼道に堕ちた者の生命の奥から突き上げてくる焦燥感を、火炎という表現にしたのだと思います。
 木口 満足をしらない生命の状態ですね。
 ―― 現代の、異常な消費文化は、果てしなき欲望の世界ですね。(笑い)
 池田 畜生界は「新池御書」に「畜生は残害とて互に殺しあふ」と説かれており、また、この生命傾向を「佐渡御書」には「畜生の心は弱きをおどし強きをおそる」と説かれています。
 目先のことにとらわれ、最も大事なこと、本質的なことを知ろうとしない愚かな境界のことです。
 ―― さきほどの御文の「諂曲なるは修羅」とは、へつらい、曲がった心根ですか。
 池田 利己心、慢心ということです。
 一説には、「修羅は身長八万四千由旬、四大海の水も膝に過ぎず」(「三重秘伝抄」)ともあります。
 これは、さも自分が大きい存在であるように錯覚し、おごりたかぶる生命の状態のことです。
 木口 「阿修羅」とも、よくいいますが。
 池田 小心、無力さをむしろ荒々しくふるまうことによって、カムフラージュすることでしょう。(笑い)
 ―― 醜い自己顕示の姿ですね。
14  六道輪廻と四聖
 池田 そうです。地獄・餓鬼・畜生は「三悪道」、修羅界を入れて「四悪趣」です。不幸といわれる人間の姿を、仏法はこのように詳細に説き明かしているわけです。
 また「人界」とは、「平かなるは人」とあります。人間的な自我の大地に立脚した境界になりますか。
 仏法では、人間について、「聡明」「勝」「微妙な意識」(意微細)、「正しく物事を判断」(正覚)、「智慧増上」「虚と実をよく判別」(能別虚実)、「仏道を成ずる正しい度量」(聖道正器)、「過去世からの福運に満ちている」(聡慧業所生)と、以上の八義があるとしています。
 木口 なるほど。そうしますと、天界はどうでしょうか。
 池田 そうですね。
 簡潔な言い方になりますが、「天界」は「喜ぶは天」とあり、一説では欲望の世界に「六天」、物質の世界に「十八天」、精神の世界に「四天」で計二十八天に、喜びを感じる生命感情を分類しています。
 本能的欲望の充足感より、もっと生命の充実感をさしているといえましょう。
 一説には「天は宮殿」(「三重秘伝抄」)とあり、恵まれた環境のことです。
 ―― しかし「天人五衰」ではないでしょうか。
 池田 そうです。
 永続的なものではなく、崩れさる運命にある、瞬間的な境界でしょうね。
 仏法では、以上を「六道」といい、通常、この境界を「輪廻」し、生死、生死と、巡りゆくと説かれています。
 ただし、人間は六道輪廻だけに満足せず、学問、努力を重ね、「声聞」「縁覚」といわれる境界をめざしている。さらに人類、社会のためにと一身をなげうって、その救済に励む力用、すなわち「菩薩」「仏」の「四聖」を深く求めていく。これこそ生命的“我”の本性といっていいでしょう。
 この「四聖」は、また機会をみつけて述べたいと思います。
15  光速宇宙船での旅
 ―― ところで、話題を少々変えたいと思いますが……。先日、おもしろいエッセーを書く画家の方から、こんな話を聞きました。
 人間がインフルエンザにかかって、寝込んでしまうのは、人間を地球の大きさにすると、インフルエンザのウイルスは、フットボールの球ほどになる。
 ですから、カゼをひくのは、地球がそのボールに当たって、ひっくり返ったようなものだ(笑い)、というわけです。
 このたとえはどうでしょう木口さん、正確でしょうか。(笑い)
 木口 そうですね。ウイルスは、〇・四から〇・〇一ミクロンで、最も小さな病原体です。一ミクロンとは、一ミリの千分の一ですから、だいたいその比較のとおりの関係になりますね。
 ちなみにウイルスは、光学顕微鏡では見ることもできませんが、電子顕微鏡ですと写真にまで写せます。
 ―― オランダのR・ハウインという人が、こんな意表をついた思考ばかりを集めています。そのおもしろいデータを参照しながら、さきほどの「光年」をもう少し考えてみたいと思いますが。
 木口 おもしろいですね。
 ―― たとえば、マゼラン星雲のなかで輝く恒星から、今夜、私たちのところに届いた光は「北京原人が洞穴で木を燃やしていた時期(数十万年前)から、いわば“視覚的挨拶”をもたらした」そうですから、じつに長い旅を重ねてきているわけです。
 池田 光速の宇宙船(秒速三十万キロ)で、天の川へ向かうと、地球を出発して「太陽を横切るのにわずか八分後」と聞いたことがありますが、本当ですか。
 木口 ええ、そのとおりになりますね。
 池田 また出発から四十五分後には、木星の重力圏を突っきり、八十分で土星まで行く、五時間もたてば冥王星、そのあとは、果てしなき宇宙の海原をただよい、四年あまり飛びつづけて、アルファ・ケンタウルス(太陽系から最も近い恒星)があらわれ、オリオン座のリゲル(青い一等星)を目の当たりにするのに六百年、ともなにかで読んだことがありますが……。ともかく光の速さでもこれだけかかる。まことに、広大無辺の宇宙としかいいようがない。
 木口 そうです。宇宙船では何世代もが交代し、子々孫々にわたり乗り継いでいくことになります。そうしますと、事実上、光より速いロケットができないかぎり、宇宙の大航海は不可能のようにみえます。
 ところが、アインシュタインの特殊相対性理論では、決して不可能ではないことになります。
 池田 なるほど、「ウラシマ効果」のことですね。スピードが上がることによって、地球からみて宇宙船内の時間の進み方が変化してくる。
 木口 ええ、そうです。
 ―― その点についても、のちほど詳しく論じていただきたいと思います。

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