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日蓮大聖人・池田大作

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第一章 「外なる宇宙」と「内…  

「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)

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9  人間性原理の解釈とガモフの宇宙論
 ―― ところで「星雲」という言葉は、カントがつくったものですね。
 池田 ニュートンの思索も、カントの哲学により、初めて学問的に位置づけられているといえますね。
 またカントは、ニュートン力学によって宇宙生成から、人間の根本的な理解までしようとした。
 ―― つまり、カントの哲学の成立が、同時にニュートン力学を世に出した、ということになっているわけですね。
 池田 そうですね。そればかりか、カントの哲学は、仏法が悟りの極致として説いた「我即宇宙」「宇宙即我」という宇宙観、世界観への一段階ととらえうるとも思います。
 木口 ちょっとむずかしくなりますが、最近の理論物理学では「アンソロピック・プリンシプル」(人間性原理)と呼ばれる理論の解釈がありまして“われわれの生命が存在するから、この宇宙が存在する”という見解が、多くの物理学者の心をとらえています。
 ―― おもしろいですね。もっとわかりやすくいうと、どういうことになりますか。また今後、理論物理学などの分野では、どのように体系化されそうですか。
 木口 そうですね。宇宙は、いろんな可能性の集合体で、人間が、その一つを選んだにすぎない。いまある宇宙は、たまたま一つの宇宙であり他の可能性もあった、という考え方です。それは極微のスケール、たとえば湯川秀樹博士などが研究された素粒子などの世界では、人間が素粒子を観察するということと、素粒子が存在するということは、不可分の関係をもっています。
 宇宙のような大きなスケールでもこのような関係はあるはずで、当然、この解釈は、将来はきちんとしたデータにもとづいた理論として、完成されていくと思います。
 池田 いまは「人間性原理」という“解釈”は、アメリカの理論物理学者、ガモフ博士の宇宙論が、ある役割を果たしているように考えられますが。
 木口 そのとおりです。その発展のなかでできたものです。
 ―― ガモフも、日本にみえたことがありましたね。
 池田 ああ、そうそう、一九五九年(昭和三十四年)秋だったと思う。ちょうど伊勢湾台風と重なり、救護や激励のために動きまわっていたので、ゆっくり講演の載った新聞の記事などを読むひまもありませんでしたが……。
 ただそれよりまえ、数学者でもあった戸田先生のもとで、ガモフの科学書を中心として、毎朝勉強の機会をもってくださったことを、懐かしく思い出します。
 ―― ガモフを、思索のテキストとされたわけですね。
 池田 ガモフの宇宙膨張説というのは、そもそも宇宙を無限の広がりとして考えるところから出発している。その点が、宇宙と生命を考える前提になった。ともかく斬新性がありましたね。
 アインシュタインも、宇宙の空間を考え抜いたとき、そのことを考えているアインシュタイン自身の「内なる心」という、この果てしなき無限の広がりに、思いいたらざるをえなかったといわれている。考えても考えても、限りない「心」の世界のあまりの厳粛さに、アインシュタインは、そのことを「宇宙的宗教感情」という言葉で表現せざるをえなかったのだと思います。
 アインシュタインが「外なる宇宙」と「内なる心」を思索しぬき、その究極のところから生み出した理論をヒントに、ガモフの宇宙論はできあがった、このように私は考えています。たとえば、無限大の広がりをもっているのでなければ、宇宙が、果てしなく膨張をつづけていく、というような見解も成り立たないわけですね。
 木口 そのとおりです。学問の世界はむずかしく、専門的な理論になっていますが、いまのお話は、まさに理論構成の中心にある考え方、その核心に触れていると思います。端的に言えば、「内なる心」の無限の広がりとともに、「外なる宇宙」も無限の空間であるという考え方が、そして、この無限がどのような性質をもっているかを調べることが、あるていど一般的になっているというのが、今日の理論物理学や生命科学の実情です。
10  はるかに遅れている「内なる心」の解明
 ―― たしかに「外なる宇宙」の無限の広がりは、実際の観測によって、どんどん裏づけられているようですね。
 木口 ええ、ガモフの、宇宙は無限に広がっているという理論は、一九四〇年代に成立していたわけですが、その理論にもとづいて、宇宙が無限であるという考え方の正しさが、ある側面で実証されたのは、わずか十数年ほど前です。
 アメリカのベル研究所の二人の電子工学者が証明しましたが、この研究で彼らはノーベル賞をもらっています。これによって、データや実験にもとづいた学問として、宇宙論が成立したといえます。さらにいまでは、エレクトロニクスの進歩による光学的観測手段の発達によって、三十億光年という広がりまで見ることができます。
 そこにわかっているだけで十億以上の銀河系があり、一つの銀河には千億個以上の星がありますから、星の数にすると、かるく兆の千万倍を超します。
 ―― なるほど。
 池田 こうした「外なる宇宙」の探究に比べ、「内なる心」の解明は、はるかに遅れていると言わざるをえませんね。
 「外なる宇宙」への挑戦が、科学技術の進歩をもたらし、それが文明の花や実になって、たしかに、現実の暮らしを豊かにはしている。
 コンピューターからインスタント食品まで、ロボットからクローン抗体まで、私たちの生活を大きく変えようとしています。
 ところが、人間の「内なる心」の解明が、取り残されているがゆえに、“主役”であるべき人間が、科学の“脇役”にされてしまっている。昨今は、その感がますます強くなっているといっていいでしょう。
 ―― そのとおりですね。人々は、みなそのことを実感しており、一見、時代が華やかにみえても、心の底では不安をおぼえているのではないでしょうか。
11  「宇宙的宗教感情」への願望
 池田 それが二十世紀の、“世紀末”の時代としての特徴といえるでしょう。
 十九世紀の世紀末は、とくに文明の中心としてみられていたヨーロッパで、「内なる心」を担っていたキリスト教が、ドイツの哲学者ニーチェなどによって「神の死」を宣告されたことは、よく知られていますね。
 「神の死」とは、比喩的な言い方で、じつは、それまでのキリスト教神学や価値観の破産であったといえます。
 しかし、キリスト教の世界観にしばられていた学問の世界、とりわけ科学は、神の呪縛を解かれるやいなや、目を見はらんばかりの進歩を遂げたわけです。
 ところが、神の死の枕辺に「内なる心」を担う相続人がだれもいなかった。
 ―― なるほど。そうしますと、アインシュタインはそこに着目し、相続人のイメージを考えぬき、むしろ願望を込めて「宇宙的宗教感情」という言葉をつくりだしたのではないでしょうか。
 池田 そうでしょう。
 一般的にいって、すぐれた科学者は、同時にすぐれた思想家でもあった、ということがいえます。
 仏法を究める機会のなかったアインシュタインは、科学者としての思索の果てに、抽象的で漠然とした言葉だったけれど、「宇宙的宗教感情」という、一種の祈りにも似た感情を訴えかけたのだと思います。
 話は変わりますが、木口さん、地球は、いちおうまるいといえますね。多少、楕円形ともいわれますが……。
 他の一千億個以上(銀河系だけで)もある星は、ぜんぶ同じようにまるくなっているのでしょうか。
 木口 いや、そうとはいえません。円盤状に見える星もあります。四角く見えるものもあります。とくに生まれたての星には、いろいろな刺が見えます。これらは、すべて光の屈折の関係でしょうか……。
 しかし大多数の星は、まるいといっていいのではないでしょうか。まるが、いちばん重力、つまり自分の重みを支えやすいからです。
 池田 なるほど。仏法でも円融円満という言葉があり、これこそ、人格の最高の理想とされているわけですが。
 木口 「ガウスの定理」というのがあります。これは、物理学者が、みな不思議な法則と言っていますが、ひとことで言えば、まるくなっているということで、まるのなかの、すべての重みがムダなく重力となって、他からの影響をうけにくい、という定理です。
 池田 団結ですね。(爆笑)
 定理とか法則とかいうものは、必ず理にかなっている。不合理はない。
 仏法もまた道理であり、宇宙の大法則にのっとった生命の法を開き、展開されたものを「経」と言っております。

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