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日蓮大聖人・池田大作

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心に残る人々  

「第三の虹の橋」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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1  池田 そうした勉学時代を通じて、あるいは、その後の人生全体について、総長にとって永久に忘れられない人はだれですか。
 ログノフ 私が生涯、忘れ得ない人を挙げるとすれば、すでに言及した私の母のアグリピーナ・クジミニチナと父のアレクセイ・イワーノヴィチをはじめとする、私にとって大事で親しい人々はいうまでもありませんが、学問の道に関しては、先のA・M・コルパコーフに加えて、アカデミー会員N・N・ボゴリューボフの名を挙げます。この二人は私を学問の道へ引き入れてくれた人です。
 もちろん、私の人生行路において出会ったすばらしい人間はもっとたくさんいますが、私はここでは私の心にいちばん親しい人だけを取り挙げました。モスクワ大学の教授A・A・ウラーソフの名も挙げたいと思います。彼は複雑で矛盾の多い、時としてはエキセントリックともいえる性格の持ち主でした。今、この年になって、私はこの人のことを理解し始めたようです。私たち、モスクワ大学の十五―二十人の物理学者は彼に対して理屈なしに感嘆の声をあげています。さて、ボゴリューボフのことに立ち戻りますが、彼は現代の偉大な物理学者の一人で、すばらしく深い知性の持ち主です。彼は最初の学術研究を十四歳の時に発表しました。
 頑なな人間というのがいます――自分の意見の点でも、また他人に対する態度においても。しかし、ボゴリューボフといえば決して結論を急ぎません。彼は思考の一つ一つの新しい芽を熟視し、それが完全に発芽できるようにするのです。彼は、絶対といっていいほど教条主義にとらわれませんでした。ボゴリューボフはよくこんな冗談を言います。「いちばん大事なのは人間が発想をもつことであって、数学的な厳格さなどはいつでもあとから付け加えることができる」と。
 一九五一年に私はついに大学を卒業し、そのまますぐに大学院生になりました。大学院へ私を推薦してくれたのはY・P・テルレツキイ教授でした。私の学位論文はその当時はまだあまり知られていなかった宇宙線の問題に関係したものでした。一九五三年に学位論文の公開審査にパスして物理・数学修士になりました。その後、N・N・ボゴリューボフ・アカデミー会員が主任をしていた理論物理学講座の助手になりました。
 その時までに私の背後にはすでに十八年間の学業がありましたが、私は今でもボゴリューボフ先生を最も大切な師と考えています。人生においては数多くの師がいます。しかし、そのなかでもとくに大事な師がいるのです。ボゴリューボフ・アカデミー会員の感化を受けて私の学者としての世界観が形成され、その後の研究欲と研究の方法ができあがったのです。
2  池田 物理学と仏法と、立場こそ違いますが、師が大切であるということは、まったく同じです。私の場合、創価学会第二代会長の戸田城聖先生が最も大事な師です。十九歳から三十歳まで、戸田先生が亡くなられるまで薫陶を受けることができました。それはそれは厳しい、しかし鋭い、偉大な師でした。私の今日あるのは、すべて戸田先生のおかげであるといって過言ではありません。
 ログノフ 私は理論物理学と量子力学のゼミを受け持ちました。それはいわば私の主要な仕事でしたが、知識のうえで未知の分野を埋めたいという渇望が基本的に残りました。私は勉強をつづけました。私は理論物理学講座で一九五六年まで働きました。
 池田 一九五六年は、戸田先生が第二代会長に就任され、創価学会の本格的な発展が始まった年です。
 ログノフ その年にモスクワ郊外のドウブナ市に合同核研究所が設立され、その研究所の理論物理学研究室の室長にボゴリューボフ・アカデミー会員が選ばれました。彼は私を自分の次席として招きました。
 一九六三年、私は新たな任務を受けました。その時分、セルプホフ市近くのプロトヴィノ村には世界最大の加速装置(七〇G‐5VIギガエレクトロン・ボルト)が建設中で、そこの研究所長の職に推挙されたのです。
 当時、私の肩には新しい研究所を創設するという任務だけではなく、職・住・研究をあわせ行うことのできる新都市の建設という任務が負わされていました。こうしたさまざまな要求は生活そのものが私に提示したものですが、それは一面において私を豊かにしてくれました。もちろん、それは私にとって新しいものではあったのですが。ともあれ、生活は生活です。ですから、生活が要求するものはすべてなしとげなければなりません。しかもできるだけ早く成就しなければならないのです。ところで、この面でとりわけ私を助けてくれたのは、わが国の社会主義体制でした。
 それは、人々についての心遣い、社会についての配慮をまず第一に、必ず解決しなければならない一義的な課題として提起しましたし、今も提起しています。それが私の一切の活動を保障してくれたのは当然でした。
 池田 事業を推進し、成功させるために最も大切なことは団結です。日蓮大聖人はこれを「異体同心」と教えられています。異体とは、さまざまに特徴、技能をもった人々ということです。同心とは同じ目的観に立つことです。そして万人が心を一つにしていける目的観とは、人間尊重であり、社会をいかによくしていくかです。
 ログノフ 一九七四年以来今日まで、私はプロトヴィノ高エネルギー物理学研究所の指導にあたっています。一九七二年、私はアカデミー会員に叙せられました。
 池田 総長のご専門は素粒子物理学ですが、なぜ、これを選ばれたのですか。
 ログノフ 私の主要研究は場の量子理論と素粒子物理学に関係したものです。
 私が高エネルギー物理学を職業として選んだ理由は、前述しましたように、私がつねに興味をもっていたのは人間本性についての知識で最先端を行くもの、まだ未解決だが、すでに提起された問題でした。

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