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日蓮大聖人・池田大作

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幼児期の思い出  

「第三の虹の橋」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

前後
2  ログノフ 快活で、輝いた目の祖父でしたが、時には厳しく思えました。とても頑健で、両親の会話から、私は、祖父が謝肉祭の折、よく村の若者同士の拳闘の試合に出場して、何回か優勝したほど頑丈な体の持ち主だったことを知りました。だから、私はレールモントフの『商人カラーシニコフ』を読むたびに祖父を思い出すのです。
 かつてある時、祖父にこっけいな出来事が起こりました。友人仲間が祖父を飲み屋に引っぱりこんだのです。祖父はお酒は嫌いでした。ちなみに、昔のロシアでは健全な家庭なら、子どもができるまでウォツカは飲まないといった慣習があったのです。それは、子どもをあらゆる病弊から守らなければならないという強い願いによるものでした。祖父はこの習慣を生涯守り通しました。ですから、その時も、飲み屋に入っても祖父は酒を飲もうとはしませんでした。入り口近くに腰をおろして、仲間が飲み終えるのを静かに待っていたのです。
 しかし、よく言うでしょう。「職場とは仕事をするところだ。何もせずぶらぶらするところじゃない」と。祖父のところへばかでかい男――いわゆる“用心棒”――がやってきて、「なんだって何もせず座り込んでいるのだ。さっさと金を払い、酒を注文して飲め。さもないと、叩き出すぞ」とおどしました。祖父は彼をちょっと見つめたあと、彼のえりがみをつかんで、後ろ向きにさせ、足でけとばすと、落ち着き払ったしぐさで元の場所に座り、仲間を待ちつづけました。けとばされた男は入り口の敷居を越えて雪の通りへすっとんでしまいました。それを見ていた飲み屋の主人は感嘆のあまり、すぐさま祖父のところに駆け寄って“用心棒”の職を祖父に申し出たほどでした。
 池田 なるほど。それはたいへん愉快な話です。人並みはずれた力をもっておられたのでしょうね。
 ログノフ しかし、祖父はあくまで自分の信念に忠実でした。彼は決して安易な儲け仕事に誘惑されるようなことはありませんでした。ですから、彼は苦労のしどおしでした。祖父は大家族を養うため生涯働きつづけました。彼は妻を二度亡くし、あとに多くの子どもが残されました。よく言うように、次から次へと小さな子どもがつづいたのです。女の子ばかりでした。そうこうするうちにやっと初めて男児が生まれました。その息子がやがて私の父親になるわけです。
 私の父は私ほどは運に恵まれませんでした。彼はずっと向学心をもちつづけ、私に、自分には知識が足りない、もっと多くのことを知りたいと口ぐせのように言っていましたが、彼の人生はそうした運命だったのでしょう。
 池田 私の父も不運の連続でしたから、共通するものがあります。父は、代々受け継いできた東京湾での海苔生産業を引き継いだのですが、日本全体の近代化の激動、世界経済の波浪のために、失敗に失敗を重ねました。しかも、戦争で家も焼かれてしまったのですから。しかし、どんなに苦難がつづいても毅然としていて、近所の人々からは「強情さま」と渾名されていました。
 ログノフ 教育がなくても天賦の才能に恵まれた人々がいます。彼らは生活そのものを自分のなかに摂取しながら、たいへん魅力のある人間になっていくのです。私は自分の父親もそういった人間だと思っています。
 彼は七歳で小さな子ども用ブーツをつくりました。父は幼少のころから労働の習慣を身につけ、十―十二歳のころには早くも一家の事実上の柱になっていました。十四歳の時、彼はやすやすとソリを手づくりし、巧みに大鎌を研いだりしました。じつのところ、手仕事というのはかなりむずかしい作業で、一生かかってもそれをマスターできない人もたくさんいるのです。
 父親も祖父と同様、自制心、がまん強さ、器用さ、勤勉さ、つねに中庸を探し求める能力といった農民固有の素質をもち合わせていました。父は少年時代の困難な境遇に負けたり、またそれを恨みに思ったりしませんでした。父は生涯、善良で柔和な人間でありつづけました。
 ですから私は子どものころ、どちらかというと厳格で、いつも私に対して規律と良い成績を要求した母親から私をかばってくれるよう父に求めたことも一度や二度ではありませんでした。
 私の学校でのいたずらを耳にすると、父はよくこう言ったものでした。「息子よ、あまり私を困らせないでおくれ。よく勉強すれば、万事うまくいくのだから」
 池田 総長が少年時代、いたずらっ子であったとは想像しがたい思いです。しかし、男の子というものは、大なり小なり、いたずら好きなもので、とくに人生のさまざまな難関を乗り越えていける精神力、知力に恵まれている人ほど、その幼少年期はいたずら好きであることが多いようです。
 大人になってからの謹厳ぶりから、子どものころの姿を想像することはできないものです。

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