Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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仏法の教える超克の段階  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
15  これらに対して、感覚的、本能的な欲望の追求に終始するのではなく、永遠的な真理を悟ることによって、恒常的な幸福を確立しようとするのが、声聞以上の四つです。
 声聞とは「声を聞く」という意味で、先に悟りを得ている人の教えを学び、それに習うことによって、真理を得ようとし、また、そこに喜びを感じていく生命の状態です。
 縁覚とは、自ら自然の中に身をおき、自然界の万物が語りかける教えから直接に真理を得ようとし、また、そこに喜びを感じていく生命の状態をいいます。
 菩薩とは、結局、永遠的な真理が、あらゆる人びとや生命的存在に対してそれを慈しむ愛――慈悲――にあることを知り、その慈悲を実践することによって自らの生命の内におのずとあらわれてくるとして、これを実行する人、また、そうした生命の状態をいいます。
 そして仏とは、先にも述べましたように、最も深い自己認識に達した人をいいますが、それは、究極的な真理を自らの内に確立している人あるいは、そうした生命の状態をいうのです。
 この十界論は、生命についての仏法の哲学的教えの重要な一つですが、ここから、あなたは、どのように感じられるでしょうか。また、この教えが、一般的に現代の人類に対して及ぼしうる教訓について、どのようにお考えになりますか。
16  ユイグ 九識論を補充するこの“十界”論について明確に述べていただいたことを感謝します。この理論に使われている言語とその特殊な意味を通じて、私自身が確信していることと合致する普遍的な一本のラインを暗示する漸進の思想があると確信します。というのは、私はそうした上昇は、人間にとって本性として求められている不可欠の行程だと思っているからです。
 人間は、あなたが最も初歩的なものとして示されたように、肉体の本性と結びついた、また本能に従う最も低いところから出発します。そこでは、食欲や官能を満足させようとします。それから瞑想をとおして開花する内的意識の充実状態に到達します。人間はこの状態を――このことはとても重要なことですが――自分自身でないもの、そして愛に基盤をおいているものへと飛躍しながら、さらに完全なものにしていきます。私たちはヨーロッパでよくするように、意識を物事の“理解”ということに限定してしまうことはできません。この理解は愛によって裏打ちされなければなりません。そして愛こそはたぶん、人間が自分を取り巻いているものだけに心を向けることをやめて、私たちを超えるものに向かうときにその超克を可能にする道でしょう。
17  最高の意識とは、私たちを宇宙の本質的で普遍的な法則に結びつける意識であるといえます。これこそ、あらゆる進んだ宗教において、神秘家が「神ととけ合う」ために到達しようと努める状態です。あなたが仏の状態とおっしゃるのは、この深遠な実在の一つの説明の仕方であると思います。あなたは、この非常に深い真実を特定の教義を通して特殊なかたちで提示されたわけです。
 ですから、このような教義を教えることは、私には、人間をより劣った意識からよりすぐれた意識へと絶えず上っていくように促しながら、自分自身の完成へと導いていくための最も価値ある方法だと思います。
 歴史上知られているほとんどの宗教は、本質的なものを掘り起こしたこの綿密な検討にはいたっていません。

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