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日蓮大聖人・池田大作

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芸術と文字――西洋  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
27  まさにドラクロアが私たちに語りかけているのは、神話に付随した既知の主題とは別のことなのです。彼は、彼がその描いたものの中で繰り返し語っているこの内面的葛藤の本質的なドラマへ、私たちを引き込み、それによって、各人のすぐれた部分が劣った部分に対して支配力をもつよう期待したわけです。
 このように、西洋の絵画に固有の手段を用いて、彼は一つのメッセージを表現したのです。このメッセージは、その衝撃的な神経質なデッサンによってと同様、その色の抑揚によってもあらわされています。闇と怪物の泥だらけで緑がかった色の重苦しさから、上へ行くにつれて虹の多彩な色に結びつき、太陽の火床の光へ向かっていくのです。
 彼は、ピアニストが、その鍵盤の震動する音域を利用するように、この色彩の音階ともいうべきものを用いています。そして、彼にとってはこの鍵盤の震動が、日本の書道家がその筆の運びによってあらわしているものを伝える役をしているわけです。
28  さらに付け加えていえば、現代において西洋の芸術の発展が招いた転倒から、デッサンは――絵画も同じです――もはや、あなたがいみじくもいわれたように“自己の前にある対象”を再生する義務を負っているとは考えていないのです。そこに、抽象芸術の冒険が始まるわけですが、幾何学を支えにしたものや、マレヴィッチ(二十世紀前半のソ連の画家)派やモンドリアン派の描いているものとは別に、もう一つの流派があらわれます。それは、アメリカ人たちが意味深くも“行動絵画”アクシヨン・ペインテイングと呼んだもので、アメリカではポロック、フランスではマテューとかアルトゥングが、手の衝動を記録する筆の純粋な画法に基礎をおいた芸術を考えついたのです。
 しかも、これらの芸術家の多くは、日本の書道に興味をもっており、トビーなどは、東洋に長いあいだ滞在していました。そして、このような傾向は、十九世紀末に極東の芸術について、なによりも浮世絵を通じて知識が得られるようになって以後、初めて西洋にあらわれたものであることを強調しておく必要があります。
29  池田 浮世絵は、日本において江戸時代にいわゆる庶民の世界の芸術としてあらわれました。明治時代になって、江戸庶民の文化的伝統は陰にかくれ、浮世絵は一般の人びとからは忘れられてしまいました。
 最近になって、日本の浮世絵がヨーロッパとくにフランスの近代画家たちに大きい影響を与えていたことが知られ、日本人自身が驚いているような状態ですが、浮世絵のとくにどういった点が西洋近代絵画に影響を与えたのでしょうか。

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